3年振りの現地開催!「きんてつ鉄道まつり2022 in 五位堂」訪問記〜その3 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



3年振りに、今年は現地開催となった鉄道イベント「きんてつ鉄道まつり」、その訪問記をお送りしています。



いよいよ、会場の「五位堂検修車庫(奈良県香芝市)」にやって来ました。
記憶では、3度目の訪問になるのですが、大変広々とした車両基地だという印象を受けます。


さて、たくさんあるどの展示から拝見するか、はたまた、グッズ販売を先に覗いて行くか、うれしい悩みなのですが…



グッズ販売ブースの裏側にある、この機材置き場にまず目が行ってしまうというのは、なんとも天の邪鬼?なわたしらしいというか(汗)



車両の屋根上に設置されている、クーラー室外機でした。記されている覚え書きの中身も気になるところです。見た目はあたらしいので予備品でしょうか、修理中なのでしょうか。


その隣には、またも釘付けになる光景が広がっているではないですか。


床下にぶら下がっている主電動機。
メカのことはさっぱりなのですが、この丸っこいのはわかります。


そして、その奥には畳まれたパンタグラフが整然と並べられています。これはおもしろい。


いまさらですが、鉄道で言うところの「パンタグラフ」とは、車両のさらに上部に張られている架線から、電車の走行などに必要な集電をする装置です。先ほど、乗車して来た準急より。



普段は、屋根上に上げられた状態でしか見られないもの。サイズが分かりにくくて恐縮なのですが、横幅は1.5mくらいありましょうか。

これが立ち上がると、わたしの背丈など優に超えそうなしろものです。


それはさておき、隅々まで観察が出来る貴重な機会です。ありがたい。素材はアルミが主だそうですが、意外にもその骨格は細いのですね。


直角に二本、並べて取り付けられているのは「擦り板」。架線からこの板を通して電気を採っているものです。
ここが架線と接触している場所に当たります。

架線というのは「遊び幅」を計算し、ゆとりを持って張られているため、意外にも良く揺れるものです。そのため、高速で走行する電車のパンタグラフとは、このように広い範囲で接触箇所があることが、その汚れ方からわかります。


そして鉄道車両では良く見かけるこのマーク。鉄道関係の電気設備や、運転器具などを幅広く手掛けている、国内では大手メーカー「東洋電機製造」のものとわかります。社名を英字表記し、その頭文字を取った「TDK」です。

「鉄道部品メーカー」は国内でも複数存在していますが、こちらの「東洋電機製造」はその中でもパイオニア的存在として知られています。


日本に電気動力を使用した鉄道車両が登場し始めたのは、早くも明治半ばあたりからですが、技術力の問題で海外製品を使用せざるを得ず、輸入コストなどが嵩んでいました。


それら電装品類を国内で生産することと、国内での技術開発力の向上を図るべく、京阪電車の創業・開業に大きく関わったメンバーのひとり、実業家の「渡邊嘉一(わたなべ・かいち、1858-1932)」が創業した会社です。出典①。



現在、鉄道車両に関わるさまざまな同社の電装品は、国内外多数の鉄道会社で採用されるに至っているのですが、こちらの近鉄でもそうなのでした。




余談ですが、京阪電車に縁のある人物が創業者ということで、京阪ではすべての車両の電装品に同社のものが、令和の現在でも使用されています。出典同、三条にて。



さらに、現在では京阪電車と競合関係にある「阪急京都線」系統の路線。淡路にて。




もともとは、戦前に京阪資本で建設した「新京阪鉄道(後に京阪電車新京阪線)」という会社でした。関西初の地下駅として開業した「京阪京都駅(現在の阪急電車大宮駅)」。出典同。



戦後、混乱の中でこれら路線は、当時の国策で強制的に合併させられていた阪急に、分離する際に割譲されたのですが、神戸線や宝塚線系統の車両が他社の電装品を使用する中、京都線系統のそれは「東洋電機製造」のものがいまも主になっています。


運転台の、左側のマスコン(主幹制御器)に「TDK」マークがわかります。3300系車内より。




おそらくはですが、戦前のそういった関係性が今日まで、続いているのかも知れません。十三にて。



近鉄電車のイベントに来ているのに、京阪電車や阪急電車の話しになりましたが(苦笑)

そういった歴史の経緯というのも、ひもといて行くと、大変興味深いものがあります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「京阪電気鉄道株式会社開業50周年記念誌 鉄路五十年」京阪電気鉄道株式会社編・刊 昭和35年12月発行)