みなさんこんにちは。前回からの続きです。
10月1日から発売開始になった「京阪電車2023カレンダー」。この時期毎年の恒例行事のようですが、毎月替わる、沿線の四季折々のショットを愛でているところです。

ところで、カレンダー巻末では、今年3月にデビュー40周年を迎えた「6000系車両」の特集がなされていました。
余談ですが、わたしが小学校に上がる前の、物心ついた頃に華々しく登場した「6000系」。
ですので、いまでも「新車」のイメージさえあるほどですが、この車両について、巻末の特集の他からも少し掘り下げてみることにします。


「6000系にまつわるもの」ということで、まず思い出したのが、この「1984京阪時刻表」でした。前年デビューしたばかりの姿が大写しに。
「京阪時刻表」は1980(昭和55)年から、ダイヤ改正ごとに発行されていました。
ただし、公式サイトで詳細な時刻検索が可能になったことなどから、残念ながら2009(平成21)年に終刊してしまいます。
沿線の観光案内、バスの時刻表や駅の構内図なども詳しいので、眺めるのが楽しいものだったのですが。時代の流れですね。

タイトルにあるように「ローレル賞受賞記念」としてのものでした。ブログ主所蔵。

「ローレル賞」とは、日本最大の鉄道趣味団体「鉄道友の会」が、前年度に登場した新型車両の中から、デザインや性能、沿線や社会にまで与えた影響などを勘案し、会員投票で特に優秀な車両を選出する賞典です。
鉄道会社にとっては名誉あることですが、京阪電車がはじめてその「ローレル賞」を受賞したのが「6000系」でした。
受賞の決め手のひとつとされていたのは、従来の京阪電車のイメージからはまったく異なる、この斬新なスタイルです。
これまで、先頭車両には貫通扉が取り付けられていたものが、非貫通式を思わせる見通しの良い大きな前面窓に、傾斜をつけた正面顔。
「もはや、塗装だけが京阪電車だと物語る」などと、沿線では相当なインパクトになったようですが、年端の行かぬ当時のわたしにとっても、それは度肝を抜かれたことを覚えています。

非常時には、向かって左側(車掌台側)の扉を開閉させることが出来るようになっています。
貴重なショットですが、そういった設備自体が珍しかった時代背景でしたし、このようなことが出来るのかと、なおのこと驚かされました。
実際に、目撃したことはありませんが…
この「6000系」が導入されたのは、1983(昭和58)年12月、架線電圧を直流600Vから1500Vに昇圧するのに合わせて、それに対応出来ない、戦後間もなく登場した、旧型の車両をすべて置き換えるためでした。
都合、車両の顔ぶれは大きく変わり、近代化が図られたのですが、この入れ替えの際に新製投入されたのは、なんと合計77両(うち20両は、昇圧前の3月から複電圧車として先行投入)。
おそらくは今後、それほど短期間に大量の新型車両が入線することはないであろうことで、それはそれは大変なことでした。
さらにこの当時、京都方のターミナル「三条駅(京都市東山区)」はまだ地上にあり、同一構内で「京津線(けいしんせん)」に乗り換えると、浜大津港を発着する琵琶湖汽船と接続していることが、沿線内外で広くPRされていました。
接続列車に指定された便には、特別ヘッドマークが掲出されるなど、琵琶湖観光に一役買っていたのですが、「京都市地下鉄東西線」の開業に伴い「京津線」が部分廃止された1997(平成9)年秋を以て、この「琵琶湖連絡」は姿を消します。ブログ主所蔵、余談でした。
さて、「6000系」はその後もマイナーチェンジを重ねながら、平成初期までに合計112両が出揃って、京阪電車の通勤型車両としては一大勢力となり、今日までその活躍は続いています。

近年では、新車並みのアコモデーションを施したリニューアルが進められています。
40年前に登場したと思えないほどの、もともとの乗り心地の良さもあり、居住性はさらに向上した次第です。
しかし、思えば「6000系」というのは、あの懐かしい鴨川沿いを走っていた頃も、現役のうちに入ります(京都地下線開業は1987年5月)。
そう考えますと、すでにベテランの域に達していたのだなと、感慨に耽ってしまいます。淀屋橋・枚方市にて、2021(令和3)年5月撮影。

そういったことで、今年も実に満足な来年度の「京阪カレンダー」でした。
果たして来年は、以前のように、気軽に京阪沿線に出かけられることが、気になりますが…
今日はこんなところです。