懐かしの昭和時代が甦る!大阪中之島美術館「みんなのまち 大阪の肖像 第2期展」観覧記〜その5 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。



今春に開館したばかりだという「大阪中之島美術館(大阪市北区)」にやって来ました。

10月2日まで開催されていた、開館記念展「みんなのまち 大阪の肖像 第2期展」観覧がその目的です。


近代大阪の足跡を、絵画や資料、モックアップなどで回顧するという企画展。戦後から昭和・平成に至る歴史の、さまざまなものが展示されているということで、楽しみです。



展示の目玉は「1970年代実物大工業化住宅 みんなのおうち」なる、こちら。積水ハウスが1975(昭和50)年に施工したという設定です。



お家の中の展示資料については、係の方に頂いたこの「温居さんちの中身」リーフレットから引用しています。


当時の最先端技術を活用したものを再現しているのですが、お家の中も、その時代の生活スタイルが再現されているというもので、いちいち感動しながら、じっくり拝見しています。


今度は、キッチンにやって来たのですが…
なんと、わたしが小中学生の頃に見て触れた光景そのままだという!

鮮やかな色彩の、古いコンロにかかっているホーロー鍋、と文字にするだけでももはや…
しかしここまで何回、感動しているか(苦笑)


解説より。いわゆる「DK」という間取りは、1960年代から本格的に全国に広まった公団住宅(団地)がはじまりだったのですね。

団地では、あらかじめ決められている間取りに合わせる形だったのが、一軒家となると、それぞれのパーツというのは、ある程度オーナーの自由な選択が出来るようになった訳です。


アラフォーのわたしにとっては、子どもの頃に、実際に見て触ったキッチンまわりです。

しつこいですが、本当に懐かしい風景…


あたりを見回していますと、なんと「エレック」があるではないですか!
ナショナル(松下電器)では代表的な電子レンジのブランドですが、うちも長年、この「エレック」でした。


そうそう、このパネル。
加熱、調理、解凍が一台で出来る、多機能なレンジです。食材によって、このように時間の目安が記されているものでした。



うわ〜、まさにこの内容でした。
ただ同じシリーズでも、時代によって機種と内容がマイナーチェンジされていたようです。



ところで、うちにあったのはこちらの「エレック」でした。You Tubeに見つけました。
展示されているものとは少し仕様が違い、加熱、調理、解凍の表示を、左端のつまみでくるくると回して変更するタイプ。
しかし、いまでも万全に動くんですね。

うちでは、平成に入ってしばらくまでも、活躍してくれていました。昔のものは、と言いますが、頑丈さはいまのものより遥かに優れていたように感じます。


ちなみに、アップされていたこのタイプのものは、1976(昭和51)年製造だそうです。



くだんの品目表示が、オフでは緑色。オンでは淡いオレンジ色に。これに間違いありません。

まったくの私事ですが、わたしの両親が結婚したのも、偶然にも同じ1976年でした。
そうなると、これを嫁入り道具として持って来たのか?などと、思わぬところで繋がって来ました。おかんに聞いてみよう。余談でした。


さて、側面を覗いてみますと、これも76年製造だと思しき製造番号です。
詳しい諸元についてはよう解説出来ないのですが、独特な字体とマークの「ナショナル」が、これまた懐かしいものです。


「ナショナル」ブランドの松下電器(現在のパナソニック)本社拠点は「京阪電車 西三荘駅(大阪府門真市)」の駅前に、広大な敷地を有しています。

この「温居家」が新築された当時の、昭和50年のショットを見つけました。出典①。


当時は、複線の仮駅だった高架を行き交う「京阪特急」の後ろに、巨大なブランドマークが鎮座しているのは、ここの名物でした。


そして、現在の様子はこちら。
社名が変更されてから久しいですが、この門真や守口一帯は、パナソニックの本拠地です。


ところで、日本における電子レンジの普及率というのはどのようなものだったのか、と気になりましたので、調べてみました。

普及状況(日本での世帯普及率)
1970年代中盤 10%強
1980年代中盤 40%台から50%
1980年代後半 60%台中盤から70%台
1990年代中盤 80%台中盤から90%
1990年代後半 90%台中盤
2000年代中盤〜後半 90%台後半へ(出典②)

と、本テーマの時代では、まだまだ出始めたばかりだったことがわかります。
その後、80年代に一気に普及が進んだ様子ですが、ついぞ電子レンジのない生活など想像もつかない現代社会ですから、これは本当に画期的なものだったに違いありません。


ところで幼少の頃、この「酒のかん」というのがどうしても不思議な言葉で、理解出来ませんでした。「酒+のかん」?「酒の+かん」?
後者だと知ったのは、だいぶ後のことでした。

もうすぐ燗酒が美味しい季節がやって来ます。ちゃんちゃん。


「エレック」と、それにまつわる思い出だけで小一時間くらいは話しが出来そうなのですが、先へ進むことにします。



二段式の冷蔵庫。「冷凍・冷蔵が区分されたものを家庭で使用出来る」ということは、当時としてはやはり画期的なことだったようです。


先ほどのレンジ同様に、凍らす・冷やすのと、その強弱しか設定出来ないというものですが、
さまざまな機能を有した新製品が引きも切らず登場するいまとなっては、アナログ人間のひとりとしては、却って安心します。



そして、さらに思い出深いものがあるではないですか。ご存知「電子ジャー」です。象印製。


こちらは、大阪万博と同時期の発売だそうですが、保温機能のちにタイマー機能と、いま当たり前にわたしたちが享受している恩恵を家庭で与れるようになったという事実は、実に計り知れないインパクトがあったに違いありません。


それに加えて、この優美な花柄のデザイン!

この種のものはなにも、電子ジャーだけに限った訳ではないですが、果たしてどれくらいの種類があるのかと見かける度に感じたものです。


ああ、本当に懐かしいものばかり。

次回に続きます。

今日はこんなところです。

(出典①「鉄道ピクトリアル」1980年11月号 第382号「京阪電車開業70周年記念特集」1980年11月 鉄道図書刊行会発行)
(出典②「フリー百科事典Wikipedia#電子レンジ」)