阪急うめだ本店「鉄道模型フェスティバル2022」訪問記〜その20 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


先日、8日まで「阪急百貨店うめだ本店(大阪市北区)」で開催されていた「鉄道模型フェスティバル」を訪問した際の様子を、シリーズでお送りしています。



さて、会場内のさまざまな展示を拝見しているところですが…今年のテーマは「鉄道開業150年記念」ということから、阪急最古の路線「宝塚線」にまつわるものが、多々ありました。


ではここからは、その変遷を辿った沿線各駅のパネル展示を、みなさんとともに見て参りたいと思います。


さて、現在の阪急の源流となったのは本題の「宝塚線」。ただし、その開業は「箕面有馬電気軌道(みのおありまでんききどう)」としてでした。


1910(明治43)年3月に「梅田(現在の大阪梅田)〜宝塚間」と「石橋(現在の石橋阪大前)〜箕面間」を一挙に開業させたのが、そのはじまりです。

これで、現在の路線網が完成した…かのように思えるのですが、社名に「有馬(ありま)」という地名が入っていることが気にかかります。


当初の計画では、その名の通り、全国的に知られる名湯「有馬温泉」へも路線を延ばす、というものでした。

地図上では、さほど離れてはいないこの両駅ですが、急峻な六甲山地に阻まれてしまい、宝塚から有馬温泉への延伸は、早々にも断念に追い込まれてしまいます。


終着駅となった「宝塚」は、歌劇団の大劇場や音楽学校など、現在では「歌劇の街」として著名ですが、開業した当時は、ひなびた「一大温泉街」だったと言います。

地元の人々は、最先端技術の電車でやって来た乗客の利用を見込んでいたのですが、計画通りに有馬温泉まで路線が延びると素通りされてしまうのでは、という危機感があったこと、また、会社が宝塚の開発に注力する方針を取ったことから、有馬延伸は断念されたようです。


ところで、関西の奥座敷として名高いその「有馬温泉」。大阪方面から鉄道でアクセスしようとすると、これが遠回りなルートになります。



「大阪梅田駅」からですと、阪急か阪神でまず「新開地駅(神戸市兵庫区)」へ。



ここで「神戸電鉄(神鉄)」に乗り換え。


神戸市内の主要ターミナルのひとつ、ここ「新開地」からでも30〜40分は要します。





ただし、三宮から地下鉄で六甲山地をトンネルで一気に抜けて「谷上駅(神戸市北区)」へ行き、新開地からやって来る「神鉄」へショートカットする方法もありますが…

それゆえか、大阪からですと少々遠いイメージも正直あります。2018(平成30)8月・2021(令和3)年6月撮影。


もし、計画通りに「有馬温泉」まで開業していたらば、大阪・梅田から有馬の温泉街まで乗り換えなし、さぞかし便利な…などと思えます。宝塚と有馬温泉、直線距離では10kmほどしかありません。グーグル地図より。


ところで「箕面有馬電気軌道」として開業した、110年余り前に登場した「1形」という車両は路面電車然としたスタイル。1両編成です。


明治の終わりから大正期にかけて関西では、このように「路面電車規格」として当時、最先端だった電気鉄道が次々と、都市間鉄道として開業した頃。すなわち、阪急・阪神・京阪など、関西大手私鉄が創業した時期でした。



それでは、さらに沿線の様子を掘り下げてみることにします。

次回に続きます。
今日はこんなところです。