阪急うめだ本店「鉄道模型フェスティバル2022」訪問記〜その12 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



先日、8日まで「阪急百貨店うめだ本店(大阪市北区)」で開催されていた「鉄道模型フェスティバル」を訪問した際の様子を、シリーズでお送りしています。




「TOMYTEC」のブランド「鉄道コレクション」から今年11月発売予定だという、金沢駅から延びる「浅野川線」で活躍している「北陸鉄道8000系」復刻塗装車両。北鉄金沢にて。


明るいオレンジ帯で親しまれているという車両ですが、金沢へやって来る以前には「京王井の頭線3000系」として、東京都心で活躍していた…という経緯についてを辿っています。



ところで、京王から北陸鉄道にやって来た車両は合計10両。昭和30年代後半に製造されたものということもあり、すでに一昨年に初期車の1編成2両が廃車されています。

京王時代には、顔の上半分に施された塗装が7色あるために「レインボーカラー」と称されたそうですが、金沢にやって来てからはすべてオレンジ色に。北陸鉄道ホームページより。


そしてこの度、今年中さらに廃車予定の1編成2両が「井の頭線」当時の姿のひとつであった「アイボリーホワイト」に復刻されることになった、という訳です。


京王時代から数えますと、都合、60年近くの活躍を果たしたことに。北国での活躍にも、順次幕を引くことになりつつあります。


ところで、模型車両とともに飾られていたのはこの、京王時代の行先表示幕です。


「井の頭線」は「渋谷〜吉祥寺間」を結んでいる路線…ということは、この幕の通り、知識としてはあったのですが、それ以上にこれがなんとも特徴的な字体なものかと、以前から気になっていました。出典後述。


では、そのあたりも含めて、京王時代の「3000系」の様子を探ってみることにします。まったく沿線外の人間ですので、そのあたりはご容赦くださいm(_ _)m

出典は、手元に所蔵の「カラーブックス日本の私鉄11 京王帝都(合葉博治・池田光雅共著 保育社刊 昭和56年12月発行)」と、恥ずかしながら、高校時代にブログ主が撮影の写真から。



書籍が発行されたのはいまから40年以上前、ということになるのですが、当時の最新型車両はこちらの「6000系」。京王というとこの車両というイメージは、強いですね。



そして、名車と謳われた「5000系」車両もばりばり現役の頃。昭和30年代後半から次々と登場し、旧型車両を一気に置き換えた、近代化の立役者…ということはこの書籍から知りました。

アイボリーホワイトに赤い帯を纏った姿というのは、とても新鮮、斬新でスピード感があるなあと感じていた、幼少期でした。


そして、くだんの「井の頭線」。
本題の「3000系ステンレスカー」は増備途中で
緑一色の旧型車両、いわゆる「グリーン車(一般的な意味合いとは違います)」を置き換えつつある頃だったことがわかります。


当時は、最新型車両としてその地位を築きつつあったという「3000系」。七色のレインボーカラーが存在しているというのは、沿線とはまったく関係のないちびっ子のわたしにとっても、まるで夢のように感じました。吉祥寺にて。


そして、当時のショットを拡大してみますと、
ありました、この独特な書体がしたためられた方向幕。
めっちゃ印象に残っていたものなのですが…


この特徴的な書体は「隷書体(れいしょたい)」というもので、元を辿れば、古代中国で生み出されたものだそうです。なんだか、ものすごく大掛かりな話しになりそうなのですが…


実は、身近なこれも「隷書体」だそうです。

通常の文字より横長で、なおかつ、はらいやはねなどに独特の形状があるというのがそうですが、京王では「井の頭線」のみならず、行き先表示板を使用していた頃にも、これを多用していたそうでした。まったく知りませんでした。


ところで、高校生になったばかりのわたしが、はじめてひとりで東京へ乗り鉄(撮り鉄)しにやって来たのは、1994(平成6)年3月。


本などでしか見たことのなかった、関西よりはるかにたくさんの鉄道路線が延びる首都圏。

そういったことで、現地では各私鉄に乗りまくっていたようなのですが、かの「レインボーカラー」で有名だったのこの「井の頭線」にも、ぜひ乗りたいと思っていたのが実現しました。吉祥寺にて。


しかし、あれ?写真を見返していますと、方向幕が「隷書体」でない…
なんの変哲もない「ゴシック体」です。


「井の頭線」には急行列車が運行されているのですが、その種別板を外したり、取り付けたりする乗務員さんの手間を省くために、幕ともども差し替えられていた…ということを、後になって知りました。ちょっと残念な気分になったのを覚えています。渋谷にて。


さて、さまざま調べていますと、くだんの「復刻塗装車両」が運行開始されたニュース動画をNHK石川放送局のサイトに見つけました。


おお〜、まさに当時の姿。
これは一度は見てみたい、と思ったのですが…


なんと、この方向幕も京王時代の「隷書体」に復刻されているではないですか!なんと凝っています。


当時、実際に利用していた方々にはたまらないのではないかと想像してしまいました(^o^)


この車両、金沢へ行く度に見たり、幾度か乗ったりしたことがありましたので、京王線に縁がなくとも個人的には馴染みある、好感が持てる車両です。「存在感が強い」なあと思います。

デビューから60年あまりとは言えど、高性能な車両器具に、耐久性のあるステンレス製。
さらに大きな窓と、これほど明るいデザインですから、令和の現在まで第二の人生を送ることが出来たのかも知れません。


話しは変わりまして、ここは長野県の「松本駅」。新宿へ向かう「特急あずさ号」が発車待ちをしている、その向こう側。


上高地へ向かう観光路線「アルピコ交通」が発着しているこの駅、停まっていたのは、こちらも「3000形」という、やはり京王から移籍して来た「元3000系」でした。



顔つきが北鉄のそれとやや違うのですが、京王時代に改造を受けて、大きな正面の窓が側面にまで回り込む、デザインになったそうです。

先ほども触れましたが、何かと使い勝手の良い車両だというので、この例のように全国各地の地方鉄道へ移籍した仲間が、まだまだたくさん居ます。2017(平成29)年7月撮影。



とかく、長らくの活躍、お疲れさまでした。
近いうちこれは一度、金沢へ行く用事を作らねばなりません。新型車両にも乗りたいし(^o^)

次回に続きます。
今日はこんなところです。