寺社仏閣と御朱印を巡る~その10「信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町信貴山)」① | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。

少し間が空きましたが、先日まで、今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」の話題をお送りしていました。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記の続編を始めたいと思います。



古来より、関西では商運、厄除けや武運長久と尊崇を集めて来た「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)」。




そのアクセスとして、いまからちょうど100年前の大正10(1922)年5月に開業したのが、本題の「生駒線(いこません)・旧東信貴鋼索線」でした。出典①・②。




思わぬ運動?にもなりましたが、往年のケーブルカーの活躍を想像しながら、ハイキングコースとなった廃線跡を、往復も出来ました。




そして、ふもとからケーブルカーが到着していたのが「信貴山駅(奈良県生駒郡三郷町)」。
駅舎はそのまま「奈良交通バス 信貴山停留所」として活用されています。


グーグル航空地図より。
信貴山内で最初に開業した鉄道駅ということで広大な山岳地帯の名を冠するだけあって、かつてこの駅はまさに「信貴山」の玄関口でした。

目指す「信貴山朝護孫子寺」へは、駅から延びる参道を歩いて、最初の山門まで10分弱。



そういったことでここからは、以前にお送りしていた「寺社仏閣と御朱印を巡る」シリーズといたしまして、本題の「信貴生駒電鉄」が目指した「信貴山朝護孫子寺」をお参りした際の様子をお送りしたいと思います。

引き続いてもどうぞおつきあいください。

前回は、楠木正行公にまつわるこちらでした↑


それでは早速、かつて40年ほど前まで「東信貴鋼索線」で登山して来た「信貴山駅」から「信貴山朝護孫子寺」へ向かうことにします。


先ほども述べましたが、現在はバス停留所となっているかつての「ケーブル信貴山駅」。
「朝護孫子寺」への道のりは、駅南側の参道からはじまります。



バス待合所前の信貴山観光案内より。
ふもとからケーブルカーで登山し、お寺までのメインルートであった参道になります。


初詣や例祭などでは、屋台や出店など、さぞかしにぎわったのではないかと、この手の道のりというものは、なんだかわくわくします。


しかし…まったく人とすれ違いません。






というのも、ケーブルカーの代替えで運行されている奈良交通のバスは、ここからより山門に近いところに最寄りの「信貴大橋」という停留所を設けているためです。


民家と、食堂や酒屋、旅館が立ち並ぶかつてのメインストリート。大変閑静です。




かつては、ケーブルカーから降り立ったたくさんの人々がここを行き交っていたのだろう…と
想像しながら、歩を進めます。





歩くこと5分ほど、参道の南側にようやく緑が見えて来ました。

お寺さんの寄附碑が並んでいるのはそれならではですが、これが傾いていたり、苔が生している姿には、ケーブルカーが無くなっての40年あまりの年月を感じます。


「ケーブル信貴山駅跡」から歩くこと10分弱。
印、最初の山門に辿り着きました。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「カラーブックス 近鉄線各駅停車Ⅰ 奈良・生駒線」徳永慶太郎著・保育社刊 昭和59年4月発行)
(出典②「さとふる納税クラウドファンディング・奈良県三郷町」ホームページ)