開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その11 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。



いろいろと寄り道をしている「王寺駅(奈良県北葛城郡王寺町)」周辺です。
趣味的に興味深いものごとが多いのは、さすがに昔から「鉄道の街」だった所以でしょうか。


それでは「田原本線 新王寺駅」から本題の「生駒線 王寺駅」に戻ることにします。


先日の記事でも触れましたが、同じ近鉄電車でも異なる出自の「生駒線」と「田原本線」。駅名も、その場所も異なります。グーグル地図より。



その間、およそ150mほど。
しかし、夏を思わせるような強い陽射しです。


「王寺駅」に到着。ここからは再び「生駒線」に乗り、来た道を折り返すことにしています。



ところで、開業100周年を迎えた「生駒線」と「旧東信貴鋼索線」。
記念グッズがこの駅で発売されていました。


無事にほしいものがゲット出来ました。
まずは「記念乗車券」(600円)。「王寺〜生駒間」の片道乗車券が2枚ずつ入っています。


券面には、ただいま戻って来た「生駒線 王寺駅」改札まわりの様子。いつ頃でしょうか。
「信貴山毘沙門天」や「生駒聖天」と、沿線の名刹がPRされているのに時代を感じます。



そしてもう一枚には、いまはなき「東信貴鋼索線」かつての姿が。
窓の大きさが目立つケーブルカーですが、昭和初期に製造された、おしゃれなデザインです。


その「東信貴鋼索線」と「生駒線」が接続していた「信貴山下駅(同生駒郡三郷町)」のショット。戦前の頃でしょうか。
この駅は、後ほど訪問することにしています。


気に入ったのがこの「記念クリアファイル」(400円)でした。


くだんの「東信貴鋼索線」山頂に当たる「山上停留所」の様子。おそらくは開業当時のものかと思われるのですが、ヘソのようなヘッドライトがかわいらしい、ケーブルカー車両です。


この「生駒線・旧東信貴鋼索線」を100年前に開業したのは「信貴生駒電鉄(信貴電)」という会社でした。これも開業直後のものでしょうか、なんとも味わいある路線図です。


「おうじ(王寺)」を出ると「やました(山下)」
先ほどの「信貴山下駅」に当たりますが、そこから「しぎさん(信貴山)」へ登る「東信貴鋼索線」は、鉄道線と同時の開業でした。


そして、さらに生駒山地の山裾を北上すると「いこま(生駒)」。接続しているのは、大阪・奈良を結ぶ「大軌(だいき、大阪電気軌道。現在の近鉄奈良線)」。

これは、ここまで乗って来た路線をトレースしたそのままなのですが…


路線図をよくよく見ますと「いこま」の先には「ひらかた」「京阪電車」「京都」という文字があるではないですか。


初回の記事でも触れたのですが、史実では奈良県内で路線が完結していた「信貴生駒電鉄」にも関わらず、府内の枚方が出てくるとは、これいかに…枚方市にて。



現在「京阪電車 枚方市駅」から分岐しているのは、北河内地域を南東に、生駒山地の入り口に当たる「私市駅(きさいちえき、大阪府交野市)」へ至る「交野線(かたのせん)」です。同。


近鉄ホームページより。
京阪電車と近鉄電車、それに加えて大阪府と山を越えた奈良県、なんらの関係もなさそうではあるのですが、路線図を見る限り、私市から南へ行くと、生駒にたどり着けそうです


ではここからは、100年前に「生駒線・旧東信貴鋼索線」を開業した「信貴生駒電鉄」と、その「京阪電車 交野線」との関わりについて掘り下げてみることにします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。