みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。
大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。
生駒(いこま)山地の東側を南下、長閑な印象ながら、沿線の開発が進む「生駒線」を乗り通し「王寺駅(奈良県北葛城郡王寺町)」に到着したところ。県内中西部、交通の要衝です。

さて、その「生駒線」含め、2社4路線が乗り入れる「王寺駅」ですが、ここで乗り換え可能な同じ近鉄「田原本線」の駅名は「新王寺」。
近鉄ホームページより。
同会社で、さらに同じ「王寺」に発着しているのに、これいかに…さらにもっと言いますと、せっかくなのになぜに直通していないのかということも気になるところです。

その答えを紐解くべく、「王寺駅」にあった順路図を確認しながら、くだんの「新王寺駅」へ向かってみることにします。

まずは、先頭車両の奥にある改札を出ます。


左手に奈良交通のバスを見ながら、さらに進みます。地図にあるように、離れていることだいたい150mほど。さほど長い距離ではありませんが…

ゆっくり歩いて直進すること3、4分で「新王寺駅」に到着しました。

この駅も「生駒線王寺駅」と同じく、行き止まり式線路の奥に改札がある、終着駅独特の構造です。ただし線路は1線のみと、それよりはこじんまりした駅です。

この「新王寺駅」を発着しているのは「田原本線(たわらもとせん)」。
よく間違えられるそうですが「田原+本線(たわら、たはら+ほんせん)」ではなくて、終着駅の「西田原本駅」がある、磯城郡田原本町(しきぐん・たわらもとちょう)から採られた線名です。
ではここからは、少し寄り道をして「田原本線」に乗り鉄してみることにします。別の日の乗車記から。
ここ「新王寺駅」を起点に、田畑が残る大和盆地を南東に縦走する形で「西田原本駅」に至る、全長8kmあまりの短い支線です。加えてグーグル地図より。

短い距離の支線とはいえど、見どころは終着駅「西田原本駅」の手前にありました。
単線を進む中、車窓左側に見えて来たのは同じ近鉄電車の「橿原線(かしはらせん)」。

そこから、単線の連絡線が別れて来まして…

ここで「田原本線」本線に合流。

ほどなく「西田原本駅」に到着。新王寺からはちょこちょこと停まって20分ほどでした。
実は先ほどの風景は「橿原線」と「田原本線」とをつなぐ連絡線でした。

ホーム先端、そしてグーグルの航空写真で眺めますと、右側に分岐しているのがそれでした。こういった設備というのは、趣味的には興味深いものがあるのですが…
ここに載っているのはもちろんすべて「近鉄電車」ですが、建設された当時の鉄道会社、出自を各路線に重ねてみますと、これが見事にばらばらです。
主題の「生駒線・旧東信貴鋼索線」は「信貴生駒電鉄」。「田原本線」は「大和(やまと)鉄道」。
「奈良線・橿原線・大阪線」は現在の近鉄電車の母体「大阪電気軌道(大軌、だいき)」。他にも近隣では「天理線」は「天理軽便鉄道」、「京都線」は「奈良電気鉄道(奈良電)」。
他方「開業時から近鉄電車」だったのは「生駒駅」を発着している「けいはんな線(旧・東大阪線)」くらいです。コスモスクエアにて。

昭和30〜40年代までに県内中小規模の鉄道会社が合併を重ね、結果的に同じ近鉄路線になるものの、近接していても、駅舎やホーム、線路は同じ場所でないということから「田原本・西田原本」や、先ほどの「王寺・新王寺」と、駅名の違いが生じているという理由がこれでした。
「田原本駅」から南へ数駅行きますと「大阪線」と接続する「大和八木駅(同橿原市)」。
さらにほどないところで、終着の「橿原神宮前駅(同)」にたどり着くことが出来ます。
もっと言いますと「橿原神宮前駅」で接続している「南大阪線」「吉野線」、さらに「長野線」なども、もともとは「大阪鉄道(大鉄)」「吉野鉄道」などという、また別系統の鉄道会社が出自なのでした。余談でした。大阪阿部野橋、河内長野にて。
ちなみに、先ほどの「橿原線」と「田原本線」とをつなぐ連絡線は、後者線内に車両基地がないため、前者を通してそれに車両を行き来させるために使用されているものでした。これも、近鉄合併後に設置されたものだとのこと。
さて、くだんの「田原本線 新王寺駅」の真裏には「JR王寺駅」への出入り口があります。
せっかくですので、こちらにも足を運んでみることにします。
次回に続きます。
今日はこんなところです。