昨秋11月、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。

ここは、高松郊外の屋島山上。
小高い山からの眺めは、実に最高です。
離島があまたある、美しい瀬戸内海もさることながら、内陸に当たる讃岐平野にも、興味深い景色が広がります。
比較的、起伏が少ないと言われる高松周辺ですが、高松駅や高松港の近くには、緑が鮮やかな
山々が見られます。どのあたりかというと…
グーグル地図より。
美しい日本庭園が有名な「栗林公園(りつりんこうえん)」と、それに控える山々でした。
以前に訪問したことが確かありますが、このような地形だったとは気づきませんでした。

ところで、その「栗林公園」の背景にある、こんもりとした形が美しい山。
「紫雲山(しうんざん)」と言う、標高200mほどの小高い山だそうですが、この山の名前を耳にして、ふと思い出したことがあります。

瀬戸大橋が開業する以前は、宇野(岡山県玉野市)と高松の間に「宇高連絡船(うこうれんらくせん)」という、鉄道連絡船が長らく航行されていました。出典①。
「宇高連絡船」は宇野、高松間を1時間ほどかけて、瀬戸内海を南北に結んでいた航路です。
航行していた船舶には、四国や瀬戸内海にまつわる名称が与えられ、瀬戸大橋の開業(昭和63年3月)まで、本州と四国とを結ぶ重要な交通機関として活況を呈していました。上から「讃岐丸」「阿波丸」。出典②。

手元にあった、1964(昭和39)年10月号の時刻表を開いてみますと…

本州方面からは、岡山を経て「宇野線」に多数の優等列車が、深夜や早朝問わず直通運転されていました。
それに合わせて、連絡船も終夜にわたり運航。

連絡船で高松に到着しますと、さらにそれに接続する形で、松山・高知・徳島方面などへと、四国全土に向かって、長距離列車が旅行客を請け負っていました。


本州側の宇野で接続する列車には、東京方面へ直通するものもあり、四国へ渡るのには、まさにここがメインルートであったことが窺い知れます。
しかし、そんな中でも悲惨な海運事故がありました。この山の名を冠した、宇高航路に充当されていた「紫雲丸」が沈没するという、いわゆる「紫雲丸事故」です。以下、出典②。
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。
修学旅行中の広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の児童などを中心に死者168名を出した。

こちらの展望台で「紫雲山」の名前を確かめた時、その惨事の史実を思い出した次第です。
事故から70年近くが経ちますが、犠牲になられた方々の御霊の安らかなりと祈るばかりです。
(出典①「国鉄監修 交通公社の時刻表」1964年10月号)
(出典②「フリー百科事典Wikipedia #宇高連絡船 #紫雲丸事故 #紫雲丸」)
次回に続きます。
今日はこんなところです。