みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先月はじめ、急遽頂いた連休に思い立ち、お四国の香川・高松へ「ことでん(高松琴平電気鉄道)」の沿線を巡った、久しぶりの遠出ひとり旅の様子をお送りしています。


ことでん随一のターミナル、瓦町から小さな電車の「志度線」に揺られて15分ほど。
到着したのは「琴電屋島駅」でした。


構内には、ホームが3面と3線。
列車の行き違いが可能な、同線の主要な駅のひとつであることがわかります。

さて、駅舎に移って参ります。
洋館を思わせるような、瀟洒で立派な設えではあるのですが、出札口の類はすべて塞がれているところ、ここは意外にも無人駅でした。

それでは、この駅舎の様子をギャラリー風に。


地方を旅していますと、待合室に手作り座布団があるのは、心なしかほっとする光景です。




三角屋根の中に、さらに覗き窓のついた小さな三角屋根。さながら、屋根裏部屋のようです。


このおしゃれな駅舎は、1929(昭和4)年に、ことでんの前身「四国水力電気」という電力会社の手によるもので、解説にあるように、名勝・屋島へのアクセス「屋島登山鉄道」の開業に合わせて建設されたものだとのこと。
ちなみに「屋島登山鉄道」とは、屋島山頂へ至る名物ケーブルカーだったそうですが、利用客の減少や老朽化が重なり、営業休止を経て、2005(平成17)年8月で廃線になっています。
この駅舎は「近代化産業遺産」という、経済産業省が認定する、近代日本の殖産工業に寄与したさまざまな歴史的遺産を取り上げたリストに入ってもいます。貴重な建築だったのですね。

ところで、この駅がその遺産に認定された当時の経産省大臣はあの和歌山の、ドンの方…
岸田さんに交代されて、すっかりお目にかからなくなったなあ、というのは余談でした(汗)

気になりましたので、くだんの「近代化産業遺産」リストを経済産業省ホームページより拝見して来ました。
長い、長い解説文なのですが(苦笑)
こちらのカテゴリーでは、明治末期から昭和戦前までの間、庶民のレジャーとなった観光旅行の興隆について、それに資したものをリストに挙げていました。


おっ!高松到着直後に乗車することが出来た、レトロ電車も入っているではないですか。
屋島は「源平合戦」で有名で、さらに風光明媚な土地でもあり古くから人気の観光地でした。
鉄道とケーブルカーの開業で、多くの観光客が気軽に訪れることが可能になったことが、選定の理由のようです。仏生山にて。

鉄道関係の、他のリストも確認してみるのですが、まさに近代日本を代表する駅、トンネル、鉄道連絡船などが目白押しです。
これはまた、時間ある時にゆっくり拝見してみることにします。
(参考)

さて、駅舎から出て来ました。
観光名所の最寄り駅のはずなのですが、見たところ、そのような雰囲気はまったくありません。旅館がひっそりあったくらいでしょうか。
屋島へは、現在ではドライブウェイが開業しているので、アクセスにはクルマが便利なのでしょうね。ここのみならず、よくある話しです。

しかし、目の前に聳える特徴的な形の山肌…
長らく散髪していない様なボサボサ具合、まるでモヒカンを成しているかのようですが、これこそ名勝・屋島を構成する山々のひとつです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。