みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、引き続いてお送りしています。
本題の「阪和電気鉄道」が、歴史上からその姿を消してから80年あまり。
経営主体が南海、国鉄、JRと三度変わり、戦前昭和から戦後、平成、そして現在の令和に至るまで、長い長い年月を経て来ました。
ただ、昭和初期に一時代を築いた「阪和電気鉄道」の面影というのは、その沿線に意外にも遺されています。それを確かめて、このシリーズを終えたいと思います。
「阪和電気鉄道」最大の遺構と言いますと、大阪方のターミナルとして建設された「阪和天王寺駅(現在のJR天王寺駅)」でしょうか。
環状線で、天王寺駅に到着。
階段を上がり、中央改札のあるコンコースを北側へ向かいますと…
「私鉄ターミナル駅」そのものの、行き止まり式の阪和線ホームがそこにはあります。
構内、特に5・6番線に架かっている、無骨ながら味わいのある、陽光がふんだんに射し込む大屋根。1929(昭和4)年、阪和が最初の区間を開業させた時に、建設したものがそのまま遺されています。
個人的には、この明るさが大好きです。
ここから阪和沿線のみならず、南紀方面へ、たくさんの人々が旅立って行きました。
令和となった現在でも、大変存在感があり、昭和初期に建設された建築物としても、大阪市内では貴重なものです。
そして、天王寺を出てからしばらく続く高架線も開業当時からのもの。それとともに、他には見られない、丸みを帯びた優美な形状で、独特のデザインの架線柱。
やはり、こちらも阪和オリジナルですが、天王寺から阪和線に乗り、これらの立派な建築物が居並ぶ光景を目にするにつけ、阪和が持っていたであろう先進さ、斬新さを実感します。
現在の「JR阪和線」の前身「阪和電気鉄道」。
1929(昭和4)年に開業、翌年の大阪・和歌山間の全通を経て、当時としては破格の高性能電車による、大阪・和歌山間のノンストップ45分運転を実現するなど、戦前私鉄の中でも、大きな存在感を示していました。
鉄道本業と並行し、未開発だった沿線に対して大規模な宅地開発を敢行。
また、遊園地・海水浴場・キャンプ場・ゴルフ場、また、季節ごとの果実狩りなどを楽しめるよう、沿線で数多くのレジャー施設を展開。
そして、今日では当たり前になった、大阪・南紀直通列車の基礎を作り上げたという功績も、忘れてはならないものです。
「特急くろしお号」は、いまにその歴史を引き継いでいます。新大阪にて。
そして、そこにはこれらへの案内を目的として発行されたリーフレット。
実に、さまざまなものがあったのだなと感心するとともに、その芸術的なセンスや上品さには特筆すべきものがあります。
歴史上では、わずか11年あまりしか存在し得なかった「阪和電気鉄道」ですが、今回の特別展を拝見して、その短い間でさえも、すこぶる内容の濃い事業展開をしていた、そして、確かな実力を着々とつけ、関西大手私鉄という地位を獲得したのだな、と感じました。
項を進めて参りますと、阪和が輝いていた時代というのは、我が国が昭和恐慌を脱し、日中戦争に端を発する世界大戦、アジア・太平洋戦争に突入するまでのいわば、さまざまな意味で「モラトリアム」の時代だったのではないかと感じます。
翻って申し上げますと、それは一般庶民でも気軽に余暇活動、レジャーを満喫することが出来るようになった、実に素晴らしい時代だった、ということでしょうか。
そういった観点からすると、阪和が展開していた鉄道事業、付帯事業というものは、まさにそれを体現していたのではないかということです。
世界大戦に向かう、激動の時局に巻き込まれた「悲運な生涯」だったのかも知れませんが、先進的な阪和が推し進めていた、昭和初期の「古き良き時代」を具現化した歴史を詳しく知り、また垣間見ることが出来て、大変満足な特別展でした。
最後に、絶頂を極めていた頃の阪和の、大阪・和歌山両ターミナルの、当時と現在を比べてみます。まずは「阪和天王寺駅」。
ほぼ同じ場所から「JR天王寺駅」。
駅ビル「天王寺MIO」に取り込まれていますが
背景のあべのハルカスは、あらたな名所です。
そして「阪和東和歌山駅」。
駅前からは、路面電車も発着していました。
そして、現在は「JR和歌山駅」に。
「紀勢本線」と直通する、交通の要衝になっています。いずれも2021(令和3)年撮影。
タイトルになっている「阪和電気鉄道 昭和初期の面影」にまつわるシリーズは、また折を見て続けて行きたいと思っています。
ここまで長駆、おつきあいくださりありがとうございました。今日はこんなところです。