阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その87「和歌山駅周辺の鉄道網変遷を辿る」Vol.1 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。



府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催された「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を先日までシリーズでお送りしていました。


「JR阪和線」を建設した「阪和電気鉄道」。

戦前の十数年という短い歴史ながらも「大阪・和歌山間を超特急ノンストップ45分運転」や「省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)への直通快速列車・黒潮号運転」などを実現させるなど、昭和初期の新興勢力として、実にさまざまな革新的な試みを行っていた鉄道会社でした。


ところで、シリーズでも度々取り上げたのですが、阪和は「沿線御案内」と称した、自社路線沿線の案内リーフレットを定期的に発行していました。

わたしも故あって、違う時期に発行されたものを三部、所蔵しています(左から昭和10年・12年・13年発行)。
せっかくの機会ですので、その内容について、この機会に取り上げたいと思います。






まず表面。大阪・和歌山間の自社路線図。
多少はデフォルメされているとはいえど、直線に拘った線形が協調されています。


さらに、途中の「紀伊駅(和歌山市)」からは
紀の川に沿って「粉河(こかわ、和歌山県紀の川市)」までの破線が記されてもいます。

阪和開業時から、延伸計画があったことを窺わせるものですが、実現は叶いませんでした。


そして裏面。






こちらは阪和沿線のみならず、乗り入れしていた「鉄道省紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」の名称旧跡、名勝にまつわる解説。


そして、運賃表などでした。

当時は、もちろんテレビやインターネットなどありませんでしたから、沿線の情報や、付帯する名所旧跡や観光地などの魅力を伝えるのには、阪和ならずともこのように趣向を凝らしたこのリーフレットが、重要な役割を果たしていたことが窺い知れます。



アナログでありながら緻密なつくり故、実に印象的で、手に取る人々の想像をかきたてるとともに、電鉄へのイメージ(阪和の場合は「大型電車による超高速運転」)を植え付ける、重要な情報源だったに違いないものだと感じます。


ところでそんな「沿線御案内」、その路線図をよくよく観察していましたら…


現在の「JR和歌山駅」に当たる「阪和東和歌山駅」のひとつ手前「中ノ島駅(現在は紀伊中ノ島駅)」周辺の配線が大変、気になります。

現在、この駅には「阪和線」だけが発着しているのですが、駅右側(東側)にある「和歌山線田井ノ瀬駅(たいのせえき)」から直線で「中ノ島駅」に乗り入れる線路があります()。
そして、左隣にはなぜか「和歌山駅」の文字。出典①。


現在のそれと比べますと、配線や駅名の様相が異なっているのもわかります。出典②。


さらに、当時発行の案内リーフレットには「特急、急行の中和歌山線に連絡の分は中ノ島駅に停車」という注意書きもありました。
かつては「中ノ島駅」が複数の路線が交差する「乗り換え駅」だったことがわかる記述です。出典①。


和歌山駅で発車を待つ、紀勢本線の普通列車。
「165系」と呼ばれる、急行用電車が活躍していた。1993(平成5)年8月、ブログ主撮影。


実は、この和歌山駅周辺の鉄路の変遷には興味深いものがあり、そのあたりを先日、実際に辿りたいと和歌山へ赴いて参りました。次回以降は、その様子をお送りしたいと思います。

(出典①「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年発行)
(出典②「JTB時刻表 2021年3月号」JTBパブリッシング 2021年3月発行)

次回に続きます。
今日はこんなところです。