阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その82「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.39 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、引き続いてお送りしています。

 
現在の「JR阪和線」を建設した「阪和電気鉄道」。1929(昭和4)年に先行区間が開業、翌年には大阪・和歌山間が全通。
以降、スピードアップとさまざまな方面での沿線開発を軸に、着々とその発展の足がかりを摑んで行きました。
 
 
しかし、その終焉はあっけないものでした。
 
1940(昭和15)年12月、国の強い意向を受け「阪和電気鉄道」は現在に至るまでのライバル「南海鉄道(現在の南海電車)」に吸収合併されることになりました。
開業から、わずか11年のことでした。
 
 
では、なぜにそのような事態に至ったのか…という点について、その時代背景や、要因などをここからは、展示・解説に沿って、毎度おなじみフリー百科事典「Wikipedia#阪和電気鉄道」の力を借りながら、辿ってみることにします。
 
 
南海鉄道への合併・国家買収
 
阪和電鉄は、海岸部の古くからの街道筋を走る南海鉄道に比べると、内陸の開発途上の人口希薄な地域を走るため区間輸送需要に乏しく、また和歌山は京都や神戸に比して都市規模が小さいことから、阪和・南海両社は少ない直通客を取り合うことにもなった。南海和歌山市にて。
 
 
1930年代を通じて阪和・南海の両社は大阪 - 和歌山間直通の優等列車を頻発させて覇を競ったが、輸送需要に比して過大な供給状態であった。
 
 
 
しかも和歌山市の中心部に近い場所にある南海和歌山市駅とは違い、中心部から離れた所に和歌山のターミナル駅(注釈:阪和東和歌山駅。現在のJR和歌山駅)を造らざるを得なかったという点もまた、阪和にとっては不利であった。
 
 
ただし現在では、両駅の乗降客数を比較するとJRが南海を大きく上回っており、また、それぞれの駅周辺に集積している商業施設の立地条件などを参酌すると、近年その立場は逆転していると言われています。
南海和歌山市駅、JR和歌山駅にて。
 
では、続きます。
 
結果的に後発の阪和の経営基盤は、常に不安定であった。乗客が伸び悩んで新車の投入資金も調達できなくなっていたため、室戸台風からの復興期や海水浴客で多数混雑する夏季には鉄道省(後の国鉄→JR)や大阪電気軌道吉野線(現在の近鉄吉野線)から車両を借り受けて運行を行っていたこともあった。 
 
それでも1938年上半期決算からは、それまでの累積赤字を営業努力によって解消させ、株主への利益配当を行うようになっていた。
しかし粉飾決算疑惑なども取り沙汰され、1937年には当時の社長・木村清が自殺するなど、経営面の混乱が続いた。そしてついには、京阪電気鉄道が阪和から手を引くことになる。 
 
 
もともと「阪和電気鉄道」は、戦前の関西大手私鉄で最大級の影響力を誇っていた「京阪電車」がその創設に大きく関わっていました。七条にて。
 
その経緯については、こちらもどうぞ↓
 
ただ京阪本社も、阪和をはじめ、傘下の「新京阪鉄道(現在の阪急京都線)」名古屋延伸計画など、あまりにもあちこちに事業の手を広げ過ぎたことがこの時期に来て裏目に出てしまったようで、解説にあるように、阪和の資本から降りてしまいました。
 
それによって京阪からの豊富な出資金、経営幹部の派遣、技術の提供などが滞ってしまったことも、阪和には痛い事実だったようです。
  
 
そして1940(昭和15)年12月1日、「阪和電気鉄道」は「南海鉄道」に吸収合併され、同社の「山手線(やまのてせん)」となりました。

線名は、明治以来の「南海本線」に比して山側を走る路線、ということに由来しています。
 
 
このようにして、国が介在した合併の協議から数ヶ月という極めて急速な決定で、「阪和電気鉄道」はわずか10年あまりの歴史に幕を降ろすに至りました。
 
 
南海への吸収合併にともない、阪和が名乗っていた駅名も、南海に合わせるように改称が行われました。

「阪和天王寺駅」は「南海天王寺駅」、「阪和岸和田駅」は「東岸和田駅」に、海水浴場の運営で激しい角逐があった「阪和浜寺駅」は「山手浜寺駅」に、という具合でした。
 
 
そういったことで、強力なライバルだった阪和を得た南海。
 
 
 
吸収合併により都合、南海は大阪・和歌山間に2つの路線を保有する形となり、大阪方では、それまでの「難波駅(本線)」「汐見橋駅(しおみばしえき、高野線)」に加え「天王寺駅(阪和電気鉄道→山手線)」と、3つのターミナル駅を持つ、一大勢力となりました。
 
 
ただしこの合併劇、先ほども触れたように、国の意向が大きくのしかかった、極めて計算されたものだったようです。そして、先の世界大戦に突入した頃、またもや事態は急転します。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。