阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その73「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.30 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。

 

 

府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、断続的にお送りして来ました。

 

 

 

 

 

 

「阪和電気鉄道」とは、現在の「JR西日本 阪和線」を建設した会社です。和歌山にて。

 

 
 

戦前、関西大手私鉄の雄だった「京阪電車」が中心となり、多額の投資とその関係者の参加によって設立されました。出町柳にて。

 

 

開業は、1929(昭和4)年7月18日。

「阪和天王寺駅(現在のJR天王寺駅、大阪市天王寺区) 〜和泉府中駅(大阪府和泉市)間」と、支線に当たる「鳳駅(堺市西区) - 阪和浜寺駅(現在のJR東羽衣駅、大阪府高石市)間」が先行して開業。

 

翌年の6月16日には「和泉府中駅 - 阪和東和歌山駅(現在のJR和歌山駅)間」が開業し、大阪・和歌山間が全通。当初は全区間を急行が65分で結んでいました。出典①。

  

 

阪和は、いわば「生みの親」でもあった京阪でも用いられていた、当時最先端の技術を車両・設備にふんだんに採り入れ、令和の現在と比べても見劣りしない「大阪・和歌山間 超特急45分ノンストップ運転」を実現させるなど、日本の鉄道史にいまなお、燦然とその名を遺しています(現在、同区間は「特急くろしお」が「日根野駅」停車で最短42分)。

 

ただし、そのような劇的な登場にも関わらず、先の大戦に向かう国策に翻弄され、わずか10数年で姿を消した「伝説の鉄道」でした。

 

  

 

少しばかり間が空きましたが、消滅から80年近く経過した、この「阪和電気鉄道」について、詳しく取り上げられた企画展の様子を、みなさま方とともに拝見して参りたいと思います。


引き続き、宜しければお付き合いください。

 

 
 

さて、阪和の開業以前から、大阪湾沿いの旧紀州街道の各都市に沿って、丹念に駅を設けていたのは「南海電車」。

令和の現在に至るまで、競合関係にあります。


その沿線は古くから拓けており、人口もおのずから集積していました。難波、和歌山市にて。

 

 

それに対して、超高速運転を行うために、山側の人口希薄地に極力直線ルートを採った阪和。

となると、利用客の掘り起こしや、新規開拓のため沿線開発にも注力する必要がありました。出展②。

 

 

ではここからは、その阪和が行った沿線開発と、魅力あるさまざまな集客のための取り組みについて、展示から拾ってみたいと思います。

 

 

趣向を凝らした、興味深い案内リーフレットがいっぱいでした。


(出典①「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2010年)

(出典②「阪和電気鉄道 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和8年)

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。