阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その72「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.30 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。

現在では「特急くろしお号」が結んでいることで知られる「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)〜省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との直通列車運転について、その黎明期の様子を探っています。




昭和8(1933)年から阪和、翌9年(1934)年からは南海も参入することとなった「省線紀勢西線」への「直通快速列車黒潮号」


当初は「紀伊田辺駅(和歌山県田辺市)」、後には「白浜駅(同西牟婁郡白浜町)」へと「省線紀勢西線」の路線延伸に合わせて、運転区間は延びて行きました。展示より。

今日の記事では、昭和初期にかけて路線延伸が進められた「紀勢本線」の経過について、取り上げたいと思います。


1936(昭和11)年

10月30日

紀伊椿駅 - 周参見駅間 (13.3km) が延伸開業し、紀伊日置駅(きいひきえき)・周参見駅(すさみえき)が開業。




1938年(昭和13年)
9月7日
周参見駅 - 江住駅間 (12.0km) が延伸開業し、見老津駅(みろづえき)・江住駅(えすみえき)が開業。

1940(昭和15)年
8月8日
江住駅 - 串本駅間 (20.1km)、新宮駅 - 紀伊木本駅間 (22.6km) が延伸開業。



と、これであの本州最南端「潮岬(しおのみさき)」最寄りの「串本駅」に到達しました。



ところで、この「串本駅」から先では、すでに別区間が開業していました。

串本から北東方向へ、すなわち「那智、勝浦、新宮」、県境を越えた三重県へ延びる「紀勢中線」と呼ばれていた区間です。


これが先ほどの「紀勢西線」、

1940(昭和15)年

8月8日
江住駅 - 串本駅間 (20.1km)、新宮駅 - 紀伊木本駅間 (22.6km) が延伸開業。

により「紀勢西線」と「紀勢中線」が結節。

「和歌山市〜東和歌山(現在のJR和歌山)〜紀伊田辺〜白浜〜周参見〜串本〜新宮〜紀伊木本(現在の熊野市駅)間」がつながりました。



紀伊半島の最南端を過ぎてからは、路線は北東へ向きを変えます。殊に沿線随一の、太平洋を望む海岸線に沿った区間です。

そして「熊野川」が流れる、古くからの港町「新宮(しんぐう)」まで、和歌山・大阪方面から鉄道でアプローチ出来るようになったのは、先の大戦に突入する直前のことでした。


この駅は「和歌山・三重県境」であるとともに「JR西日本・東海」との境界駅、さらに「電化・非電化区間」をも分かちます。

ここを境に路線の様相がまったく異なるのも、趣味的には大変興味深いものがあります。


かつて新大阪から運転されていた、新宮ゆきの夜行快速。早朝新宮到着後、串本へ折り返しを待つ。1999(平成11)年8月、ブログ主撮影。



さて、この「紀勢本線」が全通したのは、


1959年(昭和34年)

7月15日
三木里駅(みきさとえき) - 新鹿駅間 (あたしかえき、12.3km) が開業し全通。亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が「紀勢本線」となる。

のことでした。
国鉄の幹線級路線としては珍しく、戦後、それも10数年が経過してからようやく全通でした。



最後まで未開通で残った「三木里〜新鹿間」周辺が急峻な山間部を切り開き、長大なトンネルを建設する必要があった難工事区間だったことも、全通に当たって、注力された特筆すべきことでした。


これで、三重・愛知県方面からも「紀勢本線」で南紀・和歌山方面への列車を運行出来るようになったことから、紀伊半島をぐるりと周回し、紀勢本線をほぼ直通し「名古屋〜和歌山〜天王寺間」を運行する、ディーゼル特急「特急くろしお号」が設定されました。






もう一方の起点「亀山駅(三重県亀山市)」は「伊勢国」。「紀勢本線」には、昭和の終わりまでは東京からブルートレイン「紀伊」も運転されていました。

温暖で観光地が点在する沿線に、観光客が大挙して押し寄せるという、現在の南紀の姿に変貌したのは、まさに「黒潮列車」の運転開始が大きな効果を発揮したからでしょう。出典①。


阪和が遺した、今日まで続くこの軌跡は、実に大なものだったのだなと感じます。展示より。

(出典①「週刊鉄道の旅 No.8 東海・北陸・近畿10 紀勢本線・近鉄鳥羽線 2003年3月20日号」講談社発行 2003年3月)
(出典②「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年発行)
(出典③「JTB時刻表 2021年3月号」JTBパブリッシング 2021年3月発行)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線)

次回に続きます。
今日はこんなところです。