みなさんこんにちは。前回からの続きです。

府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展を訪問した際の様子をお送りしています。
現在では「特急くろしお号」が結んでいることで知られる「阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)〜省線紀勢西線(現在のJR紀勢本線)」との直通列車運転について、その黎明期の様子を探っています。

10月30日
紀伊椿駅 - 周参見駅間 (13.3km) が延伸開業し、紀伊日置駅(きいひきえき)・周参見駅(すさみえき)が開業。


1938年(昭和13年)
9月7日
周参見駅 - 江住駅間 (12.0km) が延伸開業し、見老津駅(みろづえき)・江住駅(えすみえき)が開業。
8月8日
江住駅 - 串本駅間 (20.1km)、新宮駅 - 紀伊木本駅間 (22.6km) が延伸開業。

と、これであの本州最南端「潮岬(しおのみさき)」最寄りの「串本駅」に到達しました。

ところで、この「串本駅」から先では、すでに別区間が開業していました。
串本から北東方向へ、すなわち「那智、勝浦、新宮」、県境を越えた三重県へ延びる「紀勢中線」と呼ばれていた区間です。
これが先ほどの「紀勢西線」、
1940(昭和15)年
8月8日江住駅 - 串本駅間 (20.1km)、新宮駅 - 紀伊木本駅間 (22.6km) が延伸開業。
により「紀勢西線」と「紀勢中線」が結節。
「和歌山市〜東和歌山(現在のJR和歌山)〜紀伊田辺〜白浜〜周参見〜串本〜新宮〜紀伊木本(現在の熊野市駅)間」がつながりました。
紀伊半島の最南端を過ぎてからは、路線は北東へ向きを変えます。殊に沿線随一の、太平洋を望む海岸線に沿った区間です。
そして「熊野川」が流れる、古くからの港町「新宮(しんぐう)」まで、和歌山・大阪方面から鉄道でアプローチ出来るようになったのは、先の大戦に突入する直前のことでした。

この駅は「和歌山・三重県境」であるとともに「JR西日本・東海」との境界駅、さらに「電化・非電化区間」をも分かちます。
ここを境に路線の様相がまったく異なるのも、趣味的には大変興味深いものがあります。
かつて新大阪から運転されていた、新宮ゆきの夜行快速。早朝新宮到着後、串本へ折り返しを待つ。1999(平成11)年8月、ブログ主撮影。
1959年(昭和34年)
7月15日
三木里駅(みきさとえき) - 新鹿駅間 (あたしかえき、12.3km) が開業し全通。亀山駅 - 和歌山駅(現在の紀和駅)間が「紀勢本線」となる。
のことでした。
国鉄の幹線級路線としては珍しく、戦後、それも10数年が経過してからようやく全通でした。
最後まで未開通で残った「三木里〜新鹿間」周辺が急峻な山間部を切り開き、長大なトンネルを建設する必要があった難工事区間だったことも、全通に当たって、注力された特筆すべきことでした。
これで、三重・愛知県方面からも「紀勢本線」で南紀・和歌山方面への列車を運行出来るようになったことから、紀伊半島をぐるりと周回し、紀勢本線をほぼ直通し「名古屋〜和歌山〜天王寺間」を運行する、ディーゼル特急「特急くろしお号」が設定されました。
もう一方の起点「亀山駅(三重県亀山市)」は「伊勢国」。「紀勢本線」には、昭和の終わりまでは東京からブルートレイン「紀伊」も運転されていました。
温暖で観光地が点在する沿線に、観光客が大挙して押し寄せるという、現在の南紀の姿に変貌したのは、まさに「黒潮列車」の運転開始が大きな効果を発揮したからでしょう。出典①。
阪和が遺した、今日まで続くこの軌跡は、実に大なものだったのだなと感じます。展示より。
(出典①「週刊鉄道の旅 No.8 東海・北陸・近畿10 紀勢本線・近鉄鳥羽線 2003年3月20日号」講談社発行 2003年3月)
(出典②「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年発行)
(出典③「JTB時刻表 2021年3月号」JTBパブリッシング 2021年3月発行)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線)
次回に続きます。
(出典②「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和11年発行)
(出典③「JTB時刻表 2021年3月号」JTBパブリッシング 2021年3月発行)
(年表出典「フリー百科事典ウィキペディア」#紀勢本線)
次回に続きます。
今日はこんなところです。