この本はいい!「昭和〜平成 京阪電気鉄道 沿線アルバム」と1900系の思い出 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。



連日にわたりまして「日本初」そして「日本最後」となった「多扉車(たとびらしゃ)」こと

「京阪電車5000系」についての話題をお送りしています。中之島にて。



公式アナウンスはされていないのですが、一昨日(4日)を以て、1編成のみ残った「5000系」最後の編成が、遂に運用から外れたようです。



ひっそりと迎えた引退でした。

1970(昭和45)年のデビューから半世紀以上にわたって、「5扉」という画期的なアイディアを実用化し、ひたすら激しい通勤輸送に従事した功績は、京阪電車のみならず、日本の鉄道史に残るほどのものだったというのは、些か大げさではないのかも知れません。


長い間、本当にお疲れさまでした。

また、通学の折には、お世話になりました。



ところで…所用で立ち寄った書店で、このような書籍を見つけました。

「昭和〜平成 京阪電気鉄道沿線アルバム(アルファベータブックス刊 辻良樹解説)」という新刊です。


タイトルにありますように、昭和から平成にかけての、現在の路線網に至るまでの過渡期の様子が、初見の写真も含めてあまたありました。

私事ですが、ちょうどその時代は、親からひとりで電車に乗りに行き、出かけることが許されるようになった頃。
学校が休みの度に乗り鉄・撮り鉄していたのはいまと変わらずやはり「京阪電車」でした。


ところで、この書籍の表紙に大写しになっている、この「1900系」の懐かしい光景なこと…
正面扉に、特急の「鳩マーク」が掲出されてはいるものの、車両塗装は通勤型車両のそれ。


というのも、もともとこの「1900系」という車両は「特急専用車両」として登場したものでした。後続の新型車両に取って替わられ、通勤型車両に格下げされた、という経緯があります。
「トミーテック 鉄道コレクション」製品より。

「正月ダイヤ」時など、特急増発時には、車両が不足する便を、かつて特急専用車両だったこの「1900系」が優先して受け持っていたという表紙のショットでした。


特筆すべきなのは「特急専用車両」として使用された期間は、長くても約18年。車両によっては、なんと10年あまりという、短命に終わってしまった、ということでしょうか。2008(平成20)年10月18日、引退当日の天満橋にて。


ただし、通勤型車両に格下げされてからは、特急時代にはなかった冷房装置を取り付け、高速走行で傷んだ車体をバラすほどの、徹底的な大改修工事を実施。

そのおかげで、格下げ後に活躍した期間の方が長くなった(昭和40年代終わりから平成20年までの概ね30〜35年間。2008年10月18日に完全引退)という、特殊な経歴を持つ車両として、記憶されているものでした。大和田にて。


ところで、この車系が特急車両だった時代にはわたしはまだ生まれていないので、緑濃淡の通勤型車両の姿しか存じません。

しかし個人的には、この「1900系」には、京都市内へ通学の折によく乗りました。
普通しか停まらない駅が最寄りでしたので…

これが来ますと、大変うれしかったのをよく覚えています。古い車両だから…というのもありますが、他の車両と比べて乗り心地が格段に良かったから(特急列車と比べてもです)。


ただし…う〜ん、その表現が難しいのですが。

着席していますと、なんというんでしょう、シートのふかふかさもあったんでしょうが、上下揺れはあるものの、あたかも「包み込まれるような感じ」で、電車が動き出すと「ホワン、ホワンホワン…」という感じの実に心地よい、緩やかな感覚がありました。
これでは、わからないですね(苦笑)

黎明期だった、高性能な空気ばね式台車を履いていたこともあったのかも知れません。


だいぶ余談になりましたが(苦笑)
「1900系」の他にも、本題の「5000系」の若かりし頃の姿もあり、この頃に乗り鉄、撮り鉄をはじめたばかりのガキンチョだったわたしにとっては、大変に琴線に触れるショットばかりでした。引退を前に、かつての特急色に復刻された姿。大和田にて。

先日来の「5000系」ともども、好んでいた「1900系」についても、ちょっとご紹介してみました。

明日からは「5000系団体臨時列車」の乗車記に戻りたいと思います。
今日はこんなところです。