みなさんこんにちは。前回からの続きです。
府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で3月末まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展の訪問記をお送りしています。

さて、博物館最寄りの「JR阪和線 信太山駅(しのだやまえき、大阪府和泉市)」に降り立ちました。徒歩で10分ほどということで、さっそく現地に向かうことにします。

阪和線の踏切を西に渡りますと、実に閑静な住宅地が広がります。
それも、立派なお屋敷の多いこと。

少し歩きますと、幅の広い道路の交差点に差し掛かりました。交通量もかなりです。
グーグル地図より。
駅の西側に、阪和線に沿うように南北に延びるこの道路は「国道26号」、通称「第二阪和国道」でした。


通称のように、大阪・和歌山間を結ぶ、重要な幹線道路です。
この両都市の間には「阪和自動車道」もあるのですが、さらに山側の、市街地からかなり離れたところを経由しているために、旧紀州街道に近いこの国道が、沿線では大動脈になっているようです。
ところで、この国道を渡ったところには「池上曽根遺跡」という史跡があります。

おお〜なかなか迫力があります。広いですね。


大阪府和泉市池上町を中心に南北1.5キロメートル、東西0.6キロメートルの範囲に広がる池上曽根遺跡は、総面積60万平方メートルもの規模をもつ大遺跡です。弥生時代の全期間(2300~1800年前)を通じて営まれた、わが国屈指の環濠集落(周囲を「水で満たした」溝で囲んだ集落)と言われています。
1976年に環濠に囲まれた範囲を中心に、約115,000平方メートルが国史跡に指定されました。池上曽根遺跡がもっとも栄えた弥生時代中期(2200~2000年前)の姿を現代によみがえらせるために、1995年から史跡整備を行なっています。
(和泉市ホームページ「史跡池上曽根遺跡」の解説より)
ということで、弥生時代には、このあたりにはすでに人が住んでいたのですね。
それも、堀を巡らせて外敵からの襲撃に備えたという、以降、近代まで続く「砦」の始祖、でしょうか。
山も近い地域ですし、当時でしたら、海がすぐそばまであったでしょうから、さぞかし栄えたのではないかと思われます。
ちなみに、集落のまわりに水を張らない「空堀」を巡らせたものは「環壕集落」と呼び、区別しているのだそうです。

この「池上曽根遺跡」からほどないところに、目指す「弥生文化博物館」はありました。
いよいよ、楽しみです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。