阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その51「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.8 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で3月末まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という、特別展の訪問記をお送りしています。




さて、博物館最寄りの「JR阪和線 信太山駅(しのだやまえき、大阪府和泉市)」に降り立ちました。徒歩で10分ほどということで、さっそく現地に向かうことにします。


阪和線の踏切を西に渡りますと、実に閑静な住宅地が広がります。
それも、立派なお屋敷の多いこと。


少し歩きますと、幅の広い道路の交差点に差し掛かりました。交通量もかなりです。


グーグル地図より。

駅の西側に、阪和線に沿うように南北に延びるこの道路は「国道26号」、通称「第二阪和国道」でした。



通称のように、大阪・和歌山間を結ぶ、重要な幹線道路です。

この両都市の間には「阪和自動車道」もあるのですが、さらに山側の、市街地からかなり離れたところを経由しているために、旧紀州街道に近いこの国道が、沿線では大動脈になっているようです。


ところで、この国道を渡ったところには「池上曽根遺跡」という史跡があります。


おお〜なかなか迫力があります。広いですね。



大阪府和泉市池上町を中心に南北1.5キロメートル、東西0.6キロメートルの範囲に広がる池上曽根遺跡は、総面積60万平方メートルもの規模をもつ大遺跡です。弥生時代の全期間(2300~1800年前)を通じて営まれた、わが国屈指の環濠集落(周囲を「水で満たした」溝で囲んだ集落)と言われています。

1976年に環濠に囲まれた範囲を中心に、約115,000平方メートルが国史跡に指定されました。池上曽根遺跡がもっとも栄えた弥生時代中期(2200~2000年前)の姿を現代によみがえらせるために、1995年から史跡整備を行なっています。
(和泉市ホームページ「史跡池上曽根遺跡」の解説より)


ということで、弥生時代には、このあたりにはすでに人が住んでいたのですね。
それも、堀を巡らせて外敵からの襲撃に備えたという、以降、近代まで続く「砦」の始祖、でしょうか。

山も近い地域ですし、当時でしたら、海がすぐそばまであったでしょうから、さぞかし栄えたのではないかと思われます。
ちなみに、集落のまわりに水を張らない「空堀」を巡らせたものは「環壕集落」と呼び、区別しているのだそうです。




この「池上曽根遺跡」からほどないところに、目指す「弥生文化博物館」はありました。

いよいよ、楽しみです。


次回に続きます。

今日はこんなところです。