多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その28 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


6月のラストランが迫った、日本初で日本最後となった多扉車(たとびらしゃ)「京阪電車5000系」と、全国的に見ても、朝ラッシュ時の混雑が殊に激しかった京阪沿線において、昭和30〜50年代に旅客輸送対策のために行われた事業を、時系列に取り上げるということをしています。

今項では、1972(昭和47)年に起工され、完成までに10年あまりを要した「土居〜寝屋川信号所間高架複々線化工事」と、その時期に投入が開始された、本題の「5000系」との関わりなどについて掘り下げています。



ただいま「萱島駅(かやしまえき、大阪府寝屋川市)」。
くだんの高架複々線の東端に当たる駅です。



ここから先には、実に12kmにも及ぶ高架複々線が大阪市内まで連続しています。
特急列車などですと、追い越し追い抜きを加味しないでよいために、一気にスピードを上げられる区間。

走り方はこの駅を境にまったく変わります。


さて、そこから振り返りますと…
コンコースからの上りエスカレーターの向こうに大きな木の姿が!



周りはガラス張りになっていて、その様子をじっくりと観察することが出来ます。
しかし、実に大きく立派なものです。


この巨木は「萱島の大クスノキ」と呼ばれています。解説にもありますが、高さ約20m・樹齢700年超という、古くから地元で親しまれて来た存在でした。


ただ、今回取り上げている高架複々線化工事に当たり、用地がこのクスノキにかかるために、
一時は撤去も検討されたそうですが、このようにして駅に取り込まれる形で残されるに至りました。いずれにしても、珍しい光景です。





コンコース階から。こちらもガラス張りになっていて、クスノキ全体を見渡せるように設えられています。 


そして、このクスノキをご神体と祀っている「萱島神社」が高架下にあります。社殿を裏側から(さらにエスカレーターから…)眺められるとは、珍しいものです。


次回に続きます。

今日はこんなところです。