多扉車の元祖「京阪電車5000系」ラストランへ向かって〜その15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。

 
 
 
5扉を使用するという、日本で唯一の多扉車(たとびらしゃ)「京阪電車5000系」と、全国的にも混雑が著しかった京阪沿線において、昭和30〜50年代に行われた旅客輸送対策のために行われたプロジェクトを時系列に取り上げるという記事を先日までお送りして来ました。
枚方公園にて。
 
 
平日朝ラッシュ時の著しい混雑において、その「5扉運用」というものは、多数押し寄せる旅客輸送において、絶大な効果を発揮しました。
萱島にて。
 
 
グーグル地図より。
「5扉運用の5000系」が導入されたことで、特にその激しい混雑の緩和が図られたといわれるのが、地図にある守口(もりぐち)・門真(かどま)・寝屋川(ねやがわ)という、大阪市内に近い沿線の各都市でした。 
 
この区間においては、すでに朝ラッシュ時の旅客輸送が限界値に近づいていて、そのために地平を走る複線を、高架の複々線に移行させるという工事が進められるに至りました。
 

 
「土居〜寝屋川信号所間高架複々線化工事」と呼ばれるものですが、昭和47年の着工から付帯工事の完成までには10年あまりを要する、大変な難工事になったといいます。
ここからは、本題の「5000系」から話しを拡げつつ、その工事の経過、時代背景などについて続きを述べて行きたいと思います。出典①。
 
よろしければどうぞお付き合いください。 
 
 
それでは、さっそく高架複々線となっている、くだんの区間について、前面展望でその様子を見てみたいと思います。
大阪方面からやって来た列車で、まずは「守口市駅(大阪府守口市)」を通過。 
 
 
左には普通列車が並走。
複々線ならではのダイナミックな光景です。
 
 
「パナソニック」本社の最寄り駅「西三荘駅(同門真市)」を通過。 
中央の2線は通過線、停車する区間急行と普通列車は両端の2線を走行するということで、駅構内でも減速をせずに、高速での運行が可能になっています。
 
 
左カーブを抜けると、線路は一瞬のみ地平に降ります。「府道大阪中央環状線」と高架に「近畿自動車道」、さらに平成に入ってからは「大阪モノレール」も直交する態様の「門真市駅(同)」。同市の中心地に当たります。
 
 
次はカーブに挟まれた「古川橋駅(同)」。
 
 
この駅を過ぎても、右へ左へとカーブを取ります。ただし、高速運転に対応しているので、最高時速は105km/hまで出せる区間です。
 
 
緩いカーブにかかった「大和田駅(同)」を通過。
 
 
そして、「天満橋駅(大阪市中央区)」から続く高架複々線の終端は、ホーム2面4線、この「萱島駅(大阪府寝屋川市)」で終了。
 
通勤準急、準急が停車するために、先ほどの駅々とは異なり、ホーム上での接続が可能な形態になっています。 
 
 
ここまで見て来たように、守口市駅から続く、この高架複々線区間には、カーブが連続することが特徴として挙げられます。
 
先ほども触れましたが、この区間の高架複々線化工事が開始されたのは1972(昭和47)年のこと。すでに沿線の開発は相当進んでいて、地平の従来線を高架化するにしても用地の確保が非常に困難だったため、曲線が連続する従来線に高架線を張り付ける形にせざるを得なかったという事情がありました。出典②。
 
 
先日の記事でも挙げたのですが、守口市駅から大阪方に続く高架複々線は、対象的にこのように見事な直線が続く区間です。
戦前の1931(昭和6)年に高架複線化、2年後には早くも複々線化されたのですが、大阪市内に近いところだとはいえ、用地の確保が格段に容易だった時代がゆえの賜物でした。出典③。
 
そのようなことで、戦前にすでに完成していた「蒲生(がもう)信号所〜土居間」の高架複々線化と、「土居〜寝屋川信号所間」の高架複々線化工事のそれとは、建設に当たって、まったく異なる経緯がある事業だったようです。
 
 
 
地上線の隣になんとか用地を捻出してあたらしい高架複線を建設し、地上複線をまずその高架に移設。地上線跡を撤去してさらに高架複線を建設し、横につなげて複々線化する…という、文字に起こしているだけでも大変な工事の概要を、次回からは掘り下げてみたいと思います。
出典②。
(出典① 「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2010年)
(出典②「記念誌 クスノキは残った 土居~寝屋川信号所間高架複々線建設の記録」同 1983年)
(出典③ 「京阪電鉄、叡山電鉄、京福電鉄(嵐電)1世紀の写真記録」高橋修著・アルファベータブックス刊 2017年)
 
今日はこんなところです。