新快速50周年!京都鉄道博物館に特別展を訪れて~その32 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

 

「京都鉄道博物館(京都市下京区)」に隣接する「梅小路公園」で大切に保存されている、かつての京都市電の車両(廃車になった昭和52年当時のままの広告が車内に!)を興味深く観察しているところです。 

 

 

車内広告というものは、気になるもの以外、普段それほど気にしていないので、こういったことであまねくそれらをガン見してしまうというのは、なんとも皮肉なものです(笑) 

 

 

そんな中、この市電の中では、大阪へ向かうライバル私鉄2社、京阪と阪急との争いが繰り広げられていました。

 

 

「京都(大阪)へ行くならおけいはん」

と現在では親しまれている京阪電車。

京都市内の四条や三条と言った繁華街では、「大阪へ京阪特急」というネオンサインをいまなお見かけます。ですが…

 

 

この広告には「まず三条京阪」という文句が。 

長年、京阪電車ファンのはしくれのわたしですが、このような文句はいままで見聞したことがありません。

 

 

グーグル地図より。

実は「三条京阪」と言う駅名は、この当時は存在していませんでした。現在は、京阪に隣接する地下鉄が「三条京阪駅」を名乗っています。

 

 

「出町柳駅(でまちやなぎえき、同左京区)」まで地下線で乗り入れている京阪電車は、この頃は鴨川沿いに地上を走り、手前の「三条駅(同東山区)」を終着駅としていました。

 

「三条京阪」とはこの駅、そして周辺を指す名称なのですが、「単なる終着駅」という枠に収まらない、長年にわたって親しまれて来た存在であったことからの、ある種「京阪の自負」を含めたこの文句なのではないかとわたしは感じ取りました。

 

 

では、そのあたりを踏まえて…

鴨川沿いを地上線で走っていた、京阪電車と「三条京阪」について、当時の様子を捉えたビデオ作品から拾ってみたいと思います。

(出典 3000系ダブルデッカー車登場記念「甦る京阪電車の昭和時代」京阪電気鉄道株式会社・ABCアーカイブ刊 1995年発売より)

 

 

 

「七条駅(同)」から鴨川沿いを北上して来た京阪電車は「四条駅(現在は祇園四条駅)」に到着。ご存知、京都市内中心部の繁華街が広がるところです。 

 

 

「四条通」には市電が頻繁に行き交い、四条大橋を渡ると京阪電車と平面交差していました。

この区間の市電廃止は、1972(昭和47)年。 

 

 

「四条駅」を出た電車は、鴨川沿いに京都ならではの風情ある街並みを走ります。

春は満開の桜並木、冬は川面に渡り鳥…とこれ以上ないほどの、情緒のあるところでした。 

 

 

 

そして「三条駅」に到着。

右から「宇治線」直通列車が発着する、車両がはみ出しそうな短い1番線。特急の2番線、急行の3番線、大阪方面へ直通する普通の4番線。 

 

地下線の工事がはじまった1981(昭和56)年に1番線の使用は停止され、塀で塞がれたので、この映像はそれ以前のものでしょうか。

 

 

「七条駅」からこの鴨川沿いの区間に入りますと、幼心にでも、ああ京都へ来たんやなあ…といつも感じるものでした。

地下線は交通渋滞の緩和に大きな効果があったそうですが、同時に風情もなくなってしまいました…というのは余談です。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。