新快速50周年!京都鉄道博物館に特別展を訪れて~その20 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにち。前回からの続きです。

 

 

10月でデビューから50年を迎えた、JR西日本の看板列車「新快速」、その歴史をひもといた、特別展が行われている「京都鉄道博物館(京都市下京区)」の展示を拝見しています。 

 

 

1987(昭和62)年4月の「国鉄分割民営化」により、関西都市圏の路線網は「JR西日本」に、そして、路線にも「JR神戸線・京都線」などという愛称がつけられた、というところまで触れて来ました。 

 

 

民営化でこれまで出来なかった、地域に特化した快適な車両も導入することが可能になったことで、その翌々年の1989(平成元)年春に、さっそく「次代の新快速車両」がデビューしました。現在も各地域で活躍する「221系」です。 

 

 

最初はもちろん「新快速」として投入されたのですが、「関西本線」あらため「大和路線」から「大阪環状線」に直通する「大和路快速」への導入も、同時期に行われました。 

 

 

殊に「大和路快速」については、古い国鉄型車両から、このあたらしい車両へ置き換えが図られることで、ライバル・近鉄電車からの旅客流動が大きく変わったといいます。

「桜ノ宮駅(大阪市都島区)」にて。

 

 

増備が進むに連れてその「大和路線」や、京都・奈良間を結ぶ「奈良線」… 

 

 

この博物館の目の前を通る「嵯峨野線(山陰本線)」の京都口でも、主力車両となりました。 

「京都駅(京都市下京区)」にて。 

 

 

 

この「221系」ですが、国鉄時代に登場した先代の新快速専用車両「117系」から進化した設計のもとで建造されました。



「転換式クロスシート」はシートモケットが改良されたものが採用され、利用客の乗降をスムーズにするために、客用扉は2枚から3枚に。


窓も格段に大きく確保し、明るく開放感のある設えになるなど、斬新なスタイルが評価され、鉄道ファンが集う「鉄道友の会」が優れた車両を選出する「ローレル賞」を1990(平成2)年に受賞しています。 この時期の、JR西日本を代表する車両となりました。ところで…

 

  

当時のポスターを見ますと、この「221系」には「アメニティライナー」という愛称がつけられていました(アメニティ=居住性)。

いまでは、まったく聞かないものですが…



ちなみに、JR西は「アメニティライナー」ではなく「アーバンライナー」という愛称を付けたかった、という噂を聞いたことがあります。


民営化直後に、京阪神各線区を「アーバンネットワーク」と呼んだことに起因するようですが、残念ながら、デビューの前年にライバル・近鉄電車に登場した、こちらが先にそのように命名されたことから、幻になったようで…

「大阪上本町駅(大阪市天王寺区)」にて。

 

 

ところで会場には、その「民営化直後」、すなわち昭和末期から、平成初期にかけてのPRポスター類も、たくさん展示されていました。 

 

 

こちらは「花の万博」とあるので、1990(平成2)年春のダイヤ改正でしょうか。


デビュー当時、京阪神3都市間を高速運転で結節する意味合いが強かった「新快速」ですが、沿線利用客の利便を考慮して、京都・大阪間では「高槻駅(たかつきえき、大阪府高槻市)」、大阪・神戸間では「芦屋駅(兵庫県芦屋市)」を昼間のみ、停車駅に加えることになったというもの(現在は全列車が停車)。

「新快速」の定義が変化した瞬間でした。

 

 

そのような積極的な取り組みが功を奏し、早くて便利なJRへと、ライバル私鉄からの利用客の転移が加速して行ったのがこの頃からでした。 

スピード面でかなわなくなった私鉄は、特急の停車駅を追加するなど、その対策を大きく変えざるを得なくなるほどになりました。

 

 

 

また、広告媒体に、知名度の高い人気女優さんを積極的に起用し始めたのもこの時期です。

先ほどの南野陽子さん、田中美奈子さん。 

「シュプール号」では、西田ひかるさん。

 


 

バブル期ということもあってでしょうか、大変華やかなものでした。よく覚えています。


次回に続きます。

今日はこんなところです。