みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「寺社仏閣と御朱印を巡る」と題して、桜満開間近な「四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ、大阪府四條畷市)」へお参りした際の様子をお送りしています。
(注)大阪府への緊急事態宣言発令前の訪問記です。念のため…
前置きが長くなりましたが、いよいよ本殿へ参拝したいと思います。
まだ午前中ということもあるのでしょうが、境内にはわたし以外には参拝客は見当たらず。
「お百度石」にも、楠木一族を象徴する「菊水紋」があしらわれているのが印象的です。
さらに、本殿へ入る前のこの鳥居は、神社創建百年を記念して、1990(平成2)年に「伊勢神宮」から贈られたものだとのこと。
こちらのお社は「なにわ七幸(しちこう)めぐり」という、大阪市内・近郊の著名な寺社の巡礼場所のひとつになっていました。
他の六社寺と、それぞれのご利益を見ますと…「大阪と言えばこの社寺!」というところばかりで、ご利益ありそうです。
まずは、お手水へ向かうのですが…
時節柄、このようなことになっておりました。
訪問したのは3月の末だったのですが、ついぞこんな状況になるとは想像もつかない頃でした。余談でした。
「祓へ給ひ、清め給へ」…と、本殿へお参りします。
本殿向かって左側には、祀神「楠木正行公」の母、久子を祀った「御妣(みおや)神社」も併設されています。
解説にあるように、祀神の「楠木正行公」の母親、つまり「楠木正成公」の妻でもある女性です。
正成公が「湊川の戦い(1336)」で戦没した後、後を追って自害しようとした正行公を諫め、正統な皇統とされた「南朝」へさらに忠義を尽くすきっかけを作った…という由来もあり、古くから正行公ともども尊崇されている存在だとのこと。
さらに、正行公は慈愛のある武将であったそうで、戦で負傷した敵兵を救助、保護して、京の都(つまり、対立する「北朝」の本拠地)へ送り返した…というエピソードもあるそうです。
戦乱が勃発していた中世には、まったく考えられない行動ですから、きっと優しい性格の持ち主だったのでしょうね。
お参りを終えた後で、御朱印を頂くことにしていました。
こちらにも「菊水紋」の印。
さらに「河内国(かわちのくに=現在の大阪府東部=)飯盛山麓」という言い回しも、地元民としてはうれしいものです。実に味わいがあるなあと感じます。ありがとうございました。
ふと振り返ってみますと、境内には立派なクスノキも生い茂っています。
桜の時期でしたが、実に清閑として、清々しいお参りでした。
それでは、いま少し境内を散策してみようと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。













