みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「寺社仏閣と御朱印を巡る」と題して、その第2回目をお送りしています。
今回お参りしているのは、大阪市鶴見区の「阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)」です。
勇ましい姿の神馬像の後ろには「楠木稲荷神社」というお社も鎮座しています。こちらは、後年になってから創建されたものだとのこと。
さて、こちらの神社でお祀りされているのは「味鉏高彦根神(アジスキタカヒコネ)」、「八劔大神(やつるぎおおかみ)」という神様です。
「味鉏高彦根神」は「農業の神様」で、「鉏」は農作業で使用する「鋤」を指します。
この神様が、古来この地にやって来て、周辺の住民に農業技術のいろはを伝授したという伝承が遺されていることから、このお社の名前「阿遅速雄神社」のもとにもなっています。
「八劔大神」はその名の通り「八つの劔」、神剣がご神体になっているもので、江戸時代までは「八劔神社」と称されていたそうです。
さて、先日の項で、この神社が所在地の地名「放出(はなてん)」の由来に、そして、先般の皇位継承に関する、ある重要なものに関しての伝承が遺されていると触れました。大変気になるものですが、その詳しい経緯が、境内のこの石碑に刻まれていました。
碑文を読んでみるのですが、むむ、これはちょっと難しいなぁということで…
古い書籍ですが、当ブログでは幾度か登場しているシリーズ本のこちら、
「各駅停車全国歴史散歩21 大阪府」
(大谷晃一著・河出書房新社刊 昭和55年1月初版 絶版)から拾ってみます。
放出の由来
放出は、はなてんと読むが、大阪の地名のうちで難読の一つ。
明治の初めまでは、放手(はなちて)あるいは放出(はなって)と呼ばれており、それに河内の方言が入り、はなってん、となる。
そして明治二八年浪速鉄道(現在の片町線→JR学研都市線)の開設時の駅名により、はなてん、と呼ばれるようになった。
「熱田神宮」ホームページより。
この地名の由来は、天智天皇(注釈:てんちてんのう、626-672。第38代天皇。即位までは「中大兄皇子=なかのおおえのおうじ=」とも。近江大津宮=現在の滋賀県大津市=に遷都し、日本初の時計「漏刻=ろうこく=」を使い始めた、6月10日は現在の「時の記念日」になっている)の、僧・道行(注釈:どうぎょう、生没年不詳。朝鮮半島出身の僧侶とされる)が熱田神宮(注釈:あつたじんぐう。名古屋市熱田区にある神社)より神剣(注釈:つまり「八劔=草薙劔」)を盗み新羅(注釈:しらぎ、しんら。10世紀半ばまで、現在の朝鮮半島南東部にあった国)に持ち出そうとした(注釈:668年、天智天皇7年の時)。
しかし難波津(注釈:なにわのつ、飛鳥時代の当時この辺り一帯は海だった)で嵐に会い、当時の大和川河口であったこの地まで流される。
道行は神剣の祟りであると恐れ、これを放り出して逃げ去ったという。地元の人がこれを拾い上げ、この地にあった現在の阿遅速雄神社に祭り、八剣の大神と呼ぶようになった。このいわれから放出あるいは放手の地名になったという(注釈:諸説あり)。
この神剣は、その後、熱田神宮へ奉還されている。(後略、出典同 P206)
「徳仁天皇」即位に関しての「皇位継承に関する数々の儀式」は記憶にあたらしいところですが、その内でも特に重要な「三種の神器」を新天皇が継承する「剣爾等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」という儀式が、令和改元初日の5月1日に行われました。
その「三種の神器」のひとつ、「草薙劔(くさなぎのつるぎ)」をご神体に祀っているのが、名古屋にあるこちらの「熱田神宮」なのですが、伝承によると、先ほど触れたように、熱田神宮から盗み出された上に、祟りだとこの地で放り出された(剣を「放り出す」、「手から放つ」ことからでしょうか)という伝承が、地名の「放出」と「八劔神社」の由来になっているとのこと。あれこれ調べてみても、これにはちょっとびっくりしました。
毎年おなじみ「Wikipedia #阿遅速雄神社」には、
現在も例祭日には熱田神宮より宮司か神職が参拝、熱田神宮の例祭日には、当社の宮司などが参列する慣習が続いている。
とありました。「神剣が繋いだご縁」といったところでしょうか。
ただ、「草薙劔」は古来から、当時の為政者や有力者などによって、度々持ち出されたり、盗難の被害に遭うことが多かったそうで、それゆえ「権威の象徴」としての価値が高かったことが窺えます。
その古い歴史を語るかのように、境内にはこの大きなクスノキも鎮座しています。
…放出駅の北方にある阿遅速雄神社は、この神剣の御神霊を阿遅鉏高彦根神とともに祭神としている。
落ち着いた神格を持つ本殿、境内にの樹齢四〇〇年といわれるクスの木が荘厳さをそえる。(出典同)
「生駒山(いこまやま)」の方角、つまり東からの太陽を浴びて、神々しい感を受けます。
緑豊かな大樹というのは、眺めているだけでもなにかしらほっとさせられます。
ちなみに、こちらのクスノキは「天然記念物」に指定されているものだとのこと。
周辺は住宅密集地なので、余計に存在感があるように思えます。
参拝を終えまして、御朱印を頂くことにしていました。
社務所にて親切に対応してくださいました。
ところでこの神社、おらが街にも近いところでして、以前から気になっていたお社でした。
今回の訪問や、お社についてのことをあれこれと調べてみたりしますと、驚くような由来があることに感心しきりでした。
いつもは何気なく通り過ぎたり、乗り換えしている、わたしにとっては馴染みのここ「放出」ですが、まさに目からウロコなお参りになりました。身近にこのような奥深い歴史が詰まった場所があるとは…です。
今日はこんなところです。