初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その39 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。

 

市内の史跡を巡る最後は「石炭産業資料館」にやって来ています。

 

 

資料館の一角には、このコーナーが設けられていました。

 

 

「炭坑」と言いますと、地下深くの坑道で、可燃物である石炭の採掘がなされるがゆえ、さまざまな類の災害が頻発する危険性の高いものでした。解説によると、明治以降「三池炭鉱」の開坑以来、戦後だけでも1000名以上の貴重な人命が事故により喪われたのだとのことです。

 

 

そういった危険な坑内で従事するに当たっては、災害を未然に防ぐためにさまざまな工夫がなされていました。

 

 

こちらは「一酸化炭素用自己救命器」とあります。

坑内での事故では、メタンガスの突出による引火や爆発が殊に多かったようで、万が一の際に使用していた器具だとのこと。

 

 

そして、こちらは「ガス検定器」。坑道では都度、発生するガス濃度の検知が不可欠だったと言います。

 

 

 

それでもなお、悲惨な事故は完全に防止出来るものではなかったようです。

昭和38(1963)年11月9日、先ほど訪問した「三井三池炭鉱 三川坑」の坑道内で大量のガスが突出、大爆発を起こし、多数の死傷者を出すという大災害が起こりました。いまから56年前のことです。

 

 

負傷者が救出された、「三井三池炭鉱 三川坑」の「第二坑口」跡。現在では、坑口はコンクリートで塞がれています。

豊富な産出量を誇ったという「三井三池炭鉱」の各坑道ですが、その裏ではそこは命がけの危険な環境だったのだなと、胸が締め付けられる思いがします。

 

 

また同日の夜には、横浜市鶴見区の「東海道本線」で、貨物列車の脱線にはじまる、列車の多重衝突事故も発生しました。

「鶴見事故」と呼ばれるものですが、こちらでも多数の死傷者を出す大きな事故で、新聞紙上では「血塗られた土曜日」という見出しさえも見られました。

 

 

繰り返しになりますが、本当に危険な現場で、命がけで職務を全うされていた方々の思いというのは…

深く考えさせられることだと痛感しますし、今後も決して忘れてはならない歴史だと強く思えることです。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。