初秋の筑前・筑後をひとり旅2019 その15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

先日、頂いた連休で福岡県、筑前・筑後地方をひとり旅した際の様子をお送りしています。

 

 

「博多駅(福岡市博多区)」から「JR鹿児島本線」の快速列車に乗ること40分ほど。九州随一の「交通の要衝」とも称される「鳥栖駅(とすえき、佐賀県鳥栖市)」に到着しました。

 

記載の通り、ここは「佐賀県」。「鹿児島本線」は「鳥栖駅」周辺で、その東端をなぞるように南北に走っています。

 

 

広い駅構内ですが、その向こうに青色のスタンドが目に留まるスタジアムがありました。

サッカーJリーグ「サガン鳥栖」のメインスタジアム「駅前不動産スタジアム」です。ネーミングライツによるものだとのこと。 

 

ただ、特急も停まるこの拠点駅の間近にメインスタジアムがあるとは、利便性は大変良いものですね。

先ほど触れたように「博多駅」から40分ほど、県庁所在地の「佐賀駅」からは特急列車でわずか20分ほどという、至便なここ「鳥栖駅」です。

 

 

そういったことで、この駅は「鹿児島本線」と佐賀・長崎方面へ向かう「長崎本線」の分岐駅になっています。

 

 

ヤフー地図より。古くからの交通の要衝であるがゆえ、明治22(1889)年12月、「九州鉄道」によって九州で最初に鉄道が敷設された区間でもあります。博多・北九州・佐賀・長崎・大分・熊本方面と、ここが北部九州の結節点であることが地図からも良くわかります。

 

 

ではここからは、ひとり旅の記事を上げる際にはいつも参考にしている、全国47都道府県の各駅を詳しく取り上げている「各駅停車全国歴史散歩」シリーズ(河出書房新社刊)の「佐賀県(佐賀新聞社編 昭和55年11月初版 絶版)」から拾ってみたいと思います。

 

40年以上前に出版されたシリーズではありますが、いわゆるガイドブックの類ではなく、沿線各駅の歴史・風俗・習慣などが詳細に述べられていて、読んでいるだけでも旅した気分になれる愛読書です。

 

 

九州交通の要衝 鳥栖

政治・軍事・交通の要地

 鳥栖は九州交通の要衝であるとともに、佐賀県の東の玄関口でもある。国道、九州縦貫自動車道、建設が待たれる九州横断自動車道(注釈:長崎自動車道・大分自動車道などとしてすでに開業)など道路網の発達で、内陸工業地帯としての新しい姿が生まれようとしているが、鳥栖市を語るには国鉄鳥栖駅を抜きにしては語れない。鹿児島、長崎の両主要本線をかかえ、さらには九州新幹線の分岐駅設置をも目指している。陸上交通の要衝としての重要性はますます高くなりつつある。

 

 

  鳥栖市は、昭和二十九年に鳥栖町を中心に、田代、基里、麓、旭の五町村が合併して誕生した。

鳥栖の名の起こりだが、『肥前風土記(注釈:ちくぜんふどき。奈良時代後期に編纂された、肥前国=現在の佐賀県・長崎県=の歴史・文物などを記した地誌。当時の天皇に献上された)』によれば、応神天皇(二七〇年)ころ、この地方には鳥屋(とや)があり、いろいろな鳥を飼育して天皇に献上していた。このことから『鳥巢(とす)の郷』といい、のちに「鳥巢―鳥栖」になったとも伝えられている。

 

 

 

降り立ったホームの鉄骨を仰ぎ見ますと…これは実に古びていて、なんともいえないレトロな雰囲気があります。

 

 

九州の鉄道・道路輸送の十字路

    博多―久留米間に鉄道が敷かれ鳥栖駅が開業(明治22年12月)すると、鉄道輸送は文字通り急速度で走り出した。明治二四年には鳥栖ー佐賀間が開通、鳥栖駅は鹿児島本線、長崎本線の分岐駅となった。そしていまでは、この主要線のほかに貨物列車の分解蘇生の駅として重要な拠点となっている。敷地が四二万平方㍍にも及び、構内の線路の延長は六六・六㌔。この膨大な規模をみても、鉄道が果たしてきた役割がどれほどのものであったかわかろうというもの。

 

 

年配者にきくと、「鳥栖には黒いスズメがいる」といわれたそうだ。

業務機関も多く、鳥栖市民の約三割、約一万五〇〇〇人が国鉄職員とその家族である。

 

 

  一方、鉄路にあわせ道路交通が発達してくると、北九州、長崎、熊本、鹿児島など主要都市を結ぶ分岐点としての機能ももつようになった。同市永吉町には九州縦貫自動車道の鳥栖インターチェンジが出来た。クローバー型の当時は東洋一ともいわれ、建設が近い九州横断自動車道の分岐点にもなる。もちろん国道3号、34号沿いは流通基地として注目を集める所となり、3号線の同市藤木町には鳥栖商工団地が造成され、企業が進出している。(以下略、出典 P38-39)。

 

 

出典同 P41より。この書籍が発行された当時(昭和55年)では、駅の東側には広大な貨物ヤードが併設されていたことが地図から窺えます。

ただし、貨物輸送は旧・国鉄の末期にかけて下り坂となり、昭和59(1984)年には、広大な「鳥栖操車場」は廃止されるに至りました。

冒頭で見かけた「サガン鳥栖」の本拠地、「駅前不動産スタジアム」はその跡地に建設されたのだとのこと。

 

 

開業から今年でちょうど130年を迎えるこの駅ならではと言いますか、ホームの屋根を支える支柱に用いられている「古レール」も、実に歴史のあるもののようです。 

 

 

ちょっと画像を横に。

「UNION D 1889. K.T.K」という刻印があるものです。

現在もですが、鉄道レールには製造元、納入先、製造年が刻印されていて、それを見ますとどのような経緯で納入されたのか…ということが分かるようになっています。

 

この刻印をひもといてみますと…

「UNION」ドイツ・ウニオン社製造

「D」同社ドルトムント工場で製造 

「1889」製造年(明治22年)

「K.T.K」納入先「九州鉄道株式会社(Kyushu Tetsudo Kabushikigaisha)」

 

ということが分かります。

おそらくは、九州鉄道が開業した際にドイツから輸入したものではないかと思われます。 

鉄材が貴重だった鉄道黎明期、古レールをこのようにして支柱などに転用した例は全国にあまた見られますが、「製造から130年のもの」と言いますと、実に重要な文化遺産なのだなと感心します。九州の鉄道の歴史の深さを感じます。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。