2つの支線を乗り継いで~JR羽衣線と南海高師浜線を巡る その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

大阪市の南、堺市と高石市にまたがる「JR羽衣線」と「南海高師浜線」、全国的に珍しい「支線同士の乗り継ぎ」が出来るというこの2線の乗り鉄記をお送りしています。
 
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「鳳駅」からはわずか3分、あっという間に終点の「東羽衣駅(大阪市高石市)」に到着しました。
 
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地図では路線の位置関係はこんな感じ。少し離れて敷設されている「JR阪和線」と「南海本線」とを、この支線が結節しているという形です。
 
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電車から下車して、線路の終端部に向かってみます。
 
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高架のJR駅の向こうには、関西空港・和歌山方面のみ高架化されている南海の線路が直角に設けられていることがわかります。南海の駅は、この画像左側にあります。
 
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乗車して来た電車。わずか3分ほどの路線ですが、阪和線で使用されているのと同じ、転換クロスシートを備えた居住性の高い車両が使用されています。
 
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この区間、電車はワンマン運転なのですね。
 
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ほどなく、電車は鳳駅へ向けて折り返して行きました。
阪和線との直通列車はなく、線内をひたすら折り返す運用です。
 
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改札階へと降りて来ました。こじんまりとしていますが、有人駅です。
 
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「みどりの窓口」はありませんが、改札を出たところには「みどりの券売機」が設けられていました。
わたしも度々利用するものですが、インターフォンで丁寧な案内をしてくれたり、込み入った経路の乗車券も購入出来たりと、みどりの窓口と同じく利便性の高い券売機です。
 
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駅の外部へ出て来ました。上下線とも高架駅となる「南海羽衣駅」と高架で接続する通路を設けるということで、その工事が行われていました。
 
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JRと南海の線路の位置関係はこんな感じ。直角に線路は敷かれています。
 
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先ほども触れましたが、ここで「JR羽衣線」と接続している「南海羽衣駅」を含む周辺区間では、連続立体交差工事が行われています。
大阪方面は地平線のまま、和歌山市・関西空港方面は高架線に切り替えられているということで、それぞれ別の改札口が設けられているとのこと。
これから乗車する「高師浜線」は大阪方面ホーム側からの発着です。
 
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さて、先ほど降り立ったJR東羽衣駅から、南海羽衣駅へ至る間にはこの踏切があります。観察していますと、クルマや自転車、歩行者がひっきりなしに通ります。
 
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その踏切を渡ります。大阪方面の線路のみが踏切を使用しています。
 
ところで、この踏切には実に興味深いエピソードがあります。
この踏切を所有する「南海」と、JR阪和線・羽衣線の前身「阪和電気鉄道」にまつわる昭和初期のことなのですが…
ここからは「Wikipedia #阪和電気鉄道」から引用したいと思います。
 
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南海羽衣駅の周辺案内図。駅の西側にある広大な「浜寺公園」は、かつて大阪市内から最も近い海水浴場「浜寺海水浴場」として人気を博した。
 
…(阪和・南海)両社は、大阪近郊の人気行楽地・浜寺海岸でも激しい角逐を繰り広げた。鳳から分岐する阪和線東羽衣支線は、浜寺への行楽客輸送をも狙って建設された路線である。
海水浴シーズンになると、阪和・南海両社とも難波・天王寺の各ターミナル駅から臨時列車(特に阪和のものは、現在の東羽衣駅までノンストップ運転だった)を設定し、往復割引の乗車券も販売した。そして浜寺海岸では、両社社員による熾烈な呼び込み合戦が繰り返され、ついにはお互いの社員による取っ組み合いの喧嘩沙汰にまで至ったという。
 
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南海羽衣駅の大阪方にある、阪和と南海の抗争の舞台となった踏切道。
ちょうど、空港特急「ラピート」が通過するところでした。
 
当時、阪和電気鉄道の阪和浜寺駅(現、東羽衣駅)から浜寺海岸へ行くには、南海本線羽衣駅近くの踏切(注釈:上写真に当たる)を横断する必要があったが、これに対して南海ではわざと同駅を発車・通過する電車をノロノロ運転させ、踏切を「開かずの踏切」にさせるという、いささか陰湿な手段まで繰り出したともいわれる。
 
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くだんの踏切を渡ったところ。左側が「南海羽衣駅」。奥へ進むと「浜寺海水浴場」があった。現在ここでは面影はみられない。
 
この抗争の背景には、阪和と共同で「阪和浜寺海水浴場」を開設した大阪朝日新聞社と、南海と共同で「大毎浜寺海水浴場」を開設した大阪毎日新聞社との確執による代理戦争的なものもあった。
この抗争を経て、阪和と南海が合併した(注釈:昭和15年、国策により阪和電気鉄道はライバル・南海と合併して南海山手線となった後、さらに昭和19年に国に戦時買収され、国鉄阪和線となった)1940年以降の一時期には、夏季に大阪(市内)から浜寺への定期券を購入すると、定期乗車券の経路に関わらず、南海難波・阪和天王寺以外にも高野線汐見橋駅や阪堺線から浜寺・羽衣への利用を可能としたサービスを行った時期もあった…
 
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現在では、何の変哲もないこの踏切…かつて戦前の昭和時代には、この踏切ひとつを取っても、実に熾烈な旅客獲得の競争が繰り広げられていたとは。
 
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先ほど「JR鳳駅」で見かけた「東羽衣駅から南海電車乗り換え」の案内、他社線への連絡にも拘わらず丁寧で親切な内容のそれを見るに、まったく想像もつかないことです。
 
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その因縁となった踏切も、和歌山・関西空港方面の線路はすでに高架化され、残る大阪方面の線路も工事が進んでおり、踏切がなくなるのももう間もなくです。そう考えるとなんだか、複雑な気分になった瞬間でした。
 
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それでは、JR駅を後にして「南海羽衣駅」に向かいます。
ここからは2つ目の支線「南海高師浜線」に乗車します。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。