鉄道コレクション「阪神5001形2両セット」を細見する | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。
手元にある人気鉄道模型シリーズ「鉄道コレクション」を愛でながら、あれこれ語るという記事を連日にわたってお送りしています。

イメージ 1

本日取り上げますのはこの「阪神5001形2両セット」です。
パッケージが最近のカラー写真ということもあってでしょうか、この「5001形」は現在も活躍している阪神電車の一形式です。

イメージ 2

商品は「運転台つき車両・中間車両」がそれぞれ1両ずつ。

先日の記事でも幾度か阪神電車のものについて取り上げたのですが、腰下が青のタイプは「短区間に駅が連続する」という阪神電車独特の路線状況に応じた「高加速・高減速」に特化した車両(ジェットカーと称される)であり、またその塗装から「青胴車(あおどうしゃ)」と呼ばれる、普通列車専用の車両です。

イメージ 3

解説を読んでみることにします。

イメージ 4

製造は昭和52(1977)年から56(1981)年にかけてということですが、実はこの「5001形」という形式名は実は「2代目」ということが解説からわかります。

イメージ 5

こちらが「初代5001形」です。
「初代5001形」として製造されたのはこの2両だけだったとのこと。

正面顔はいわゆる「湘南型」と呼ばれる、国鉄80系(湘南電車)に範を模した、この当時に全国の鉄道事業者で流行した非貫通式の大きな二枚窓を備えるものだったようです。ですが、乗客の増加に対して増結をする必要性が生じたため、この特徴ある正面の顔は他の車両と連結した際、互いに行き来が出来る「貫通式」に改造され運用に当たりました。

イメージ 6

「二代目5001形」が登場した昭和52(1977)年の廃車後「初代5001形」は香川県の「高松琴平電鉄(ことでん)」へ車体が譲渡されたそうです。
側面中央の扉は埋められ、客用扉は2枚に改造されてはいるものの、種車の面影がよく残っています。近年の平成15(2003)年に廃車になったとのこと。

(出典「カラーブックス日本の私鉄12 阪神」
 廣井恂一・井上広和共著 保育社刊 昭和57年初版 より)

イメージ 7

それでは、現在でも普通列車の主力として活躍している「二代目5001形」を見て行きたいと思います。

イメージ 8

まずは正面から。正面の貫通扉が深く奥まった位置に設けられているのは「青胴車」のみならず、この前後に製造された阪神の他形式の車両でもよく見られた特徴あるものです。
オデコの位置には行先表示器。製造当初には設置されておらず、昭和の末期に追加で取り付けられたものだとのこと。

イメージ 9

これを側面から。18m級の車体に、両開き式の客用扉が3枚。
阪神電車の標準的な車体構造です。

イメージ 10

運転台側を拡大してみます。屋根上の冷房装置が、運転台真上のものだけが異なる形状をしているのがわかります。なにか理由があったのでしょうか。

イメージ 11

そしてこちらは中間車両。下枠交差型のパンタグラフが設けられており、妻面(つまめん、運転台がない側)には配管類もしっかり再現されています。
この例のみならず、こういった再現具合は細見していて実に萌えます(!)

イメージ 12

この2両を並べて屋根上から。上が中間車両、下が運転台つき車両です。
分散式のクーラーが整然と並んでいるのですが…

イメージ 13

2両並んだ車両、その妻面を再度観察してみますと…同じ中間車両なのにも関わらず、妻面の様子がちと異なっているのがわかります。

イメージ 14

俯瞰してみますと、奥の中間車両の妻面、手前のものと比べて丸みを帯びているのがわかります。そういえば、屋根の終端部も双方異なっていますね。

イメージ 15

実は「二代目5001形」は登場後からしばらくの間は「2両編成+2両編成」で運行されていて、現在は運転台のないこの妻面側に運転台が取り付けられていました。「2両編成+2両編成」を「4両固定編成」にするに当たり、中間に組み込まれていた運転台は撤去されたのですが、構造上、かつての運転台・先頭車両の痕跡がこのようにはっきりと残っているという次第です。

イメージ 16

運転台のある先頭車両と比べてみますと一目瞭然。
丸みを帯びた車端部、先ほども触れた屋根の終端部など、かつてはここにも運転台があったことをはっきり物語っています。

イメージ 23

それでは、付属のステッカーも見てみましょう。

イメージ 24

行先板ではなく、モデルになったのが「行先表示器設置車両」ということで正面・側面分の行先幕が収録されていました。
普段はあまり見かけない「甲子園」「西宮」などの幕は興味深いものです。

イメージ 17

では、この「二代目5001形」の実車については…
先日もご紹介した
「日本の私鉄12 阪神」
(廣井恂一・井上広和共著 保育社刊 昭和56年初版)から拾ってみます。

イメージ 18

ページをめくって行きますと…いや~これは懐かしい風景が!
「二代目5001形」と並んで、それとよく似た塗装の、阪神に乗り入れていた「山陽電鉄3000系」が写っていました。この塗装、わたしにとってはほんと懐かしいです。大石駅(おおいしえき、神戸市灘区)にて。

イメージ 19

本題の「二代目5001形」ですが…
先ほど触れた「ことでんへの譲渡」のくだりがあります。

イメージ 20

この書籍が刊行された頃には、こちらも先ほど触れたように「2両編成+2両編成」を組み合わせての運行がなされていたようです。行先表示器の設置もなされておらず「梅田⇔元町」の行先板を掲げて運行されていました。
「4両固定編成化(→中間に組まれている車両の運転台撤去)」や「行先表示器の設置」は昭和63(1988)年から開始され、現在の姿になったようです。

イメージ 21

そして現在。「ジェットカー・青胴車」にも新造車両が次々と投入される中いまだ主力として「二代目5001形」は活躍しています。野田にて。

イメージ 22

高速神戸へ向けて発車を待つ「5001形」5024Fの4連。尼崎にて。

新型車両の導入が徐々に進む中、主力で活躍しているとはいえ、車齢も40年を超えるものもあるなど、昔からの「阪神電車」、また「青胴車」のイメージを残すこの車両の動向というのは実に気になります。
今後の動きが注目される「二代目5001形」について取り上げました。

今日はこんなところです。