鉄道コレクション「南海7000系 2両セット」を細見する | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題ですが…
無事に入手出来たのはいいものの、まだしっかりと愛でていなかった手元の人気鉄道模型シリーズ「鉄道コレクション」を細見しようというシリーズを先日までお送りしていました。その続編をお送りしたいと思います。
よろしければどうぞおつきあいください。

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さて、本日取り上げるのはこの「南海7000系 2両セット」です。
果たして、どのような車両なのでしょうか。

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パッケージを開きますと、詳細な解説が目に止まります。
この形式は「車長20m級・4枚扉」という、戦後南海の車両の基本様式を踏襲した車両として、昭和38(1963)年から製造された通勤用車両です。
実車は3年前の平成27(2015)年に全廃されており、すでに形式は消滅しているとのこと。

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こちらは「なんば駅(大阪市浪速区)」でしょうか。大きな「急」のヘッドマークを掲げ、発車を待つ姿は登場間もない頃のものと思われます。

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ところで、わたしなどの世代だと「南海電車」というと、この緑の濃淡の塗装の電車をまず想起します。失礼なお話しですが、幼少の頃は地味な印象さえあったのですが、いまから見直しますとシックな色調に感じるものです。

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そして時代は平成に入り、関西国際空港開港(平成6年)に合わせたイメージチェンジの一環として、他形式ともどもこの新塗装化が行われました。
先ほど写真の時代と比べると「冷房化・行先表示器の設置・下枠交差型パンタグラフへの交換」実施されているという、晩年の頃の姿でもあります。

実際に乗ったり見たり…と、なじみがあるのはこちらです。

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それでは、模型になっている実車を見て参りたいと思います。

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大型の菱形パンタグラフを搭載しているのが「7001形」。

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これを側面から。4枚の片開き扉の間に、客用扉が3枚ずつ整然と並んでいます。「20m級車体」ということで、模型でもその大きさを感じます。

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目が行ったのが、車長に比したこの大柄な台車!窓3枚分はあります。
堂々とした貫録すら感じます。

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そして、パンタグラフ・主電動機のついていないこちらが「7901形」。
どちらも、行先表示器が設けられる前のデビュー当時の姿です。

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これを並べてみます。
しかし、シブいカラーリングだといまさらながら感じます。

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「非冷房時代を再現したもの」ということで、屋根上にはベンチレーター(通風器)が整然と並んでいます。こちらも、台車同様に大型のものです。

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このベンチレーター、よくよく観察してみますとなかなか特徴的な形状をしています。通風口がすこぶるわかりやすいものです。

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続いて「妻面(つまめん、運転台がついていない側)」を見てみます。

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いわゆる「切妻(きりつま)」という平面の形状で、窓の大きさも加わって実にすっきりとした印象を受けます。

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ところでこのモデルには、かつて使用されていた南海の「社章」もしっかりと再現されていました(赤い□内)。
少しわかりにくいのですが「羽翼」をイメージしたものです。

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それでは、この社章については…
幼少の頃に買い与えて貰った「日本の私鉄9 南海(南海電気鉄道車両部・井上広和共著 保育社刊 昭和56年10月初版発行)」から拾ってみます。

表紙には当時の看板車両、霊峰・高野山へ向かう「20000系特急こうや号」が大写しになっています。

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ページをめくりますと、その「特急こうや号」についての記載に思わず目が行きます。
当時の国鉄グリーン車に匹敵するほどの、豪華な車両だったようです。

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さらに繰って行きますと、本題の「7000系」ももちろん載っていました。
正面、側面に行先表示器が設置され、本線の普通運用に就く姿です。

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続いての解説ページ。こちらに載っているのはまだ正面に行先板を掲げているタイプの「7000系」でした。ちょうど工事の過渡期だったのでしょうか。

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さて、その「南海の社章」についてですが…
巻末に近いところに、その変遷についての解説がありました。

最初はこの「羽車マーク」というのが正式な社章だったようです。
記述されている制定までのエピソードになかなか興味深い経緯を感じます。

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そして、昭和47(1972)年に制定されたのが二代目となるくだんの社章。
「新社章は、若鷹の力強いはばたきを象徴するもの…」と解説があります。

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「若鷹」という言葉でピンと来たのは、これらの社章が用いられていた当時に南海グループが保有していた、プロ野球球団「南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)」についてです。戦前からの長い歴史を誇る「ホークス」という名称は、親会社の社章にまつわるこういった経緯から命名されたとされています。

こちらは「ダイエー」に球団を譲渡する直前(昭和63年)まで用いられた南海のビジター用ユニフォーム(復刻バージョン)。
やはりというか、当時の電車の塗装と同じ「グリーン」基調です。

余談ですが、先ほどの「羽車マーク」をかたどったレリーフは、現在でも「南海なんば駅」の正面玄関に堂々と掲げられていまして、そういったことを鑑みるにつけ、かつて保有していた「南海ホークス」、そしてこの「羽車マーク」というのは、まさに「南海電鉄創成期からの象徴」だったことが窺えます。

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そして、平成に入って新たに導入されたのが現在のこの社章。
関西国際空港開港を控え、CI(コーポレート・アイデンティティ)を導入した際に制定されたものです。思えばかつての社章も緑の「南海ホークス」も、これの登場で過去のものになったのかなあと感じます。余談になりました。

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最後に、付属のステッカーを見て参りたいと思います。

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冒頭でも触れました、丸い大型の行先表示板が模されています。

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普通列車のそれは、両側に駅名を表記したシンプルなものです。

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その中でも右から3番目の「急 淡路」の板、これは沿線の「深日港(ふけこう、大阪府泉南郡岬町)」から淡路島方面へと運航されていたフェリーに接続して運転されていた直通急行に掲げられていたものです。

かつては淡路島のみならず、和歌山港で四国・徳島方面へのフェリーに連絡するものもあり、それには「特急 四国」という板が使用されるなど、在阪五私鉄の中でも、これはひときわ「広大なネットワーク」を感じさせられるものでした。

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例によって?話しがあちこちに逸れましたが「昭和の南海電車」を体現する緑の濃紺を身にまとったこの車両について取り上げました。

初代、二代目社章の由来、この緑の濃淡塗装と「南海ホークス」…
どれも消えて久しいものですが、小さい頃にそれらに触れた思い出というのは、遠い昔のことになったことをしみじみと感じた細見日記でした。
今日はこんなところです。