阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その40 「企画展 昭和の一大観光地砂川」と「砂川遊園・砂川奇勝」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

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府の南部「泉南市(せんなんし)」の「埋蔵文化財センター」で開催されている「企画展 昭和の一大観光地砂川(すながわ)」と、そこで「一大観光地」と称された「砂川遊園・砂川奇勝(きしょう)」について取り上げるということをしています。

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さて、会場で頂いた展示概要の記されたリーフレットに沿って、その「砂川遊園」と「砂川奇勝」の変遷について項を進めています。
次は「再生期」、戦後の「砂川遊園」の動向に触れたいと思います。

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戦後まもない「昭和22(1947)年」撮影の「和泉砂川駅」と「砂川遊園」付近の航空写真が展示されていました。一面、田園が広がる長閑な風景です。

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右下に見える「和泉砂川駅」の上(東方向)には、大きな池がいくつも見えます。
戦前、遊園が全盛期の頃には「ボート池」として親しまれていたそうです。

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さらに、山あいの様子を観察してみますと…
陸上のトラックらしきもの(運動場でしょうか)や、小高い丘の上には丸い形状をした敷地も見えます。かつて「大花壇」があったところだ思われる場所です。

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戦時中、鉄材供出で園内の遊具はすべて撤去されてしまい、広大な花畑も芋畑に変わってしまったということですが、世情が落ち着いた「昭和26、27年」頃からは、再びさまざまな遊具が設置され、遊園は再興を果たします。

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ちなみにこの「砂川遊園」、入場料は無料で、敷地のまわりにフェンスの類はいっさいなく、自由に出入りが出来たという、いまでは考えられないほどのんびりした施設だったようです(学芸員の方の弁)。
近くにこんな場所があれば、それこそ、子どもたちの格好の遊び場になっていたのだろうなあと、ちょっとうらやましくもなります。

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ところが、日本が高度経済成長期に入ろうかという頃、遊園や、同じ敷地内にあった「砂川奇勝」を含む一帯は、地元・泉南町(現在の泉南市)によって売却され、一気に住宅開発が進められるようになりました。

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会場では、その「遊園の最期の時代」を近隣の住民の方が撮影したという、開発が進む「砂川」の様子を収めた映像が流されています。
つい見入ってしまいました。

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あたらしい住宅群が建設のさ中、その奥には緑濃い森の姿が。
こうして「砂川遊園」と「砂川奇勝」は、徐々にその姿を消すことになりました。

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ところで、会場には「砂川奇勝」のパノラマ写真もありました。
俯瞰するに大迫力な写真です。

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白い、ごつごつとした岩肌が延々と続き、それもさまざまな形状をしていることから「奇勝」の名前で呼ばれていた、このあたりの「自然の名所」だったそうです。

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かつて、このあたりは海底にあり、その後、海底に沈み堆積した砂や岩が隆起して、このような一風変わった一帯が出来上がったとのこと。
ちなみに「砂川」という地名は、この丘陵の砂や岩が、雨風により川のように流れだしたという光景から来ているそうです。

そんな光景はいまや昔、開発によりすっかり消失したと思っていた「砂川奇勝」なのですが、展示を説明してくださった学芸員の方によると、この「奇勝」はまだ一部が公園として残されているとのこと!これには驚きました。

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そういうことで、せっかくなので、現在も遺されているその「砂川奇勝」へも足を伸ばしてみることにしました。
クルマで来ているので、ちょうどよかったです。

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ということで「埋蔵文化財センター」を後にクルマで10分ほど。
かつての「砂川遊園・砂川奇勝」の玄関口だった「JR阪和線 和泉砂川駅(同)」へとやって来ました。

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駅舎はふたつあり、こちらは駅の東口。
「砂川遊園・砂川奇勝」へ向かうには、こちらの東口が玄関口でした。

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赤い三角屋根が実に特徴的ですが、これは「砂川遊園」を建設した「阪和電気鉄道オリジナル」のデザインで、かつては、阪和線の多くの駅で見られた意匠でした。ただ、最近はその多くが姿を消しており、このように現存しているのは珍しくなりました。

こちらの「和泉砂川駅」には、以前に一度訪問したことがありました↓
当ブログ
阪和電気鉄道 昭和初期の面影 その27「砂川遊園と砂川奇勝」
(2011年7月1日アップ)

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改札周りをちょっと観察。現在でも「特急くろしお号」が一部停車する、阪和線の拠点駅なのですが、柱の古い構造など、木造の味わいが印象的です。

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続いては、反対の「西口」へと向かってみます。
踏切の向こうに「西口」はあるのですが、その途中、これまた古びた「架線柱」を見つけました。
鉄道趣味的には「国鉄→JRオリジナル」の架線柱ではないデザインです。

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これも、先ほどの赤い三角屋根の駅舎と同じく「阪和電気鉄道オリジナル」のものです。左右に立っている架線支持柱の先端部分がすぼまっているのがその大きな特徴です。こちらも、最近は徐々に姿を消しつつある遺産です。

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踏切道から駅構内を見たところ(安全に留意して撮影しています)。
側線が上下線にあり、結構、大きな駅です。

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そんな中で、このいいショットが撮影出来ました。

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こちらが「西口」。駅の位置する「泉南市」の中心地へはこちらが玄関口になります。ここも「赤い三角屋根」です。

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この日は好天だったこともあったのでしょうか、赤い屋根がぴかぴかと光っていたのが印象的でした。
きれいに塗装されているので、最近、塗り替えたのでしょうか。
ということはこの「阪和時代の面影」を残す駅舎は当面、安泰のようです。

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西口からは商店街が延びているのですが、そのはじまりの場所に、地元タクシーの屋根付き乗り場を発見。ひと昔前には、こういった乗り場はよく見かけたものですが…いまや懐かしいものです。

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再び「東口」へと戻って来ました。
ちょうど、大阪方面へ向かう「紀州路快速」が発車するところでした。

そんな中、先ほどには気付かなかったバス停を発見しました。南海系列の「和歌山バス那賀」と「泉南市コミュニティバス」のものですが…

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「和歌山バス那賀」の行先は、府県境を越えた「岩出(いわで、和歌山県岩出市)」へと向かうものでした。
「岩出」には、確か「JR和歌山線」が通っているのですが…

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先ほど訪問した企画展の展示の中に、このような路線図があったのを思い出しました。

「阪和電気鉄道」時代にここから2駅先、和歌山県に入った「紀伊駅(同和歌山市)」から東へ、「紀ノ川」に沿って「粉河(こかわ、同紀の川市)」までの路線計画が記されたものでしたが、その「岩出」は、ここ「砂川」からはほぼ真南の位置にある町です。ルートは大きく異なりますが、当時の路線計画はこういった形で生き続けているのかも知れません。

そういえば、先ほどクルマを停めたコインパーキングには「和歌山ナンバー」のクルマがたくさん停められていました。路線計画のあった「岩出」や「粉河」あたりでは、わざわざ「和歌山駅」まで出ずにここ「和泉砂川」へアクセスする方が、大阪方面へ出るには便利なのかも知れません。

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それでは、さっそく「砂川遊園・砂川奇勝」へと向かうことにします。
当時、たいそうにぎわったであろう駅前のメイン・ストリートです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。