2月も下旬の頃になりますが、いつもお世話になっているブロ友のみなさんと東京下町を散策した際の旅日記の続編をお送りします。
10分ほど乗車し、下車したのは「荒川車庫前停留所(同)」。

さて、開業から10周年を迎えたという「日暮里・舎人ライナー」の「全線完乗」を果すことが出来ました。一度は乗車してみたかった路線でしたので、
よかったなあという気持ちで、こちら「熊野前駅(東京都荒川区)」へと舞い戻って来ました。

さて、ここからは今日のメイン「都電荒川線」乗車へと戻ります。
「早稲田ゆき(同新宿区)」ゆきを待っていますと、このパープル色に彩られた「三ノ輪橋(同荒川区)」ゆきが目の前を通り過ぎて行きました。

その向こうには、先ほどまで乗車して来た「日暮里・舎人ライナー」の列車が通過して行きました。同行して頂いているMaさんによると「路面電車と新交通システムが同時に見られるのはここだけ」なのだのこと。
ふと思ったのですが「路面電車」というと、例えば、市内各地に路線網のある「広島」でも、新交通システム「アストラムライン」は市内中心部では地下に潜ってしまいますし、貴重な光景なのには相違ないようです。
しばし、その出会いを愉しみます。

続いてやって来た「三ノ輪橋ゆき」もきれいな塗装です。
さまざまな形式、色彩の電車が走っている「荒川線」なのですね。

さて、ようやくやって来た「早稲田ゆき」に乗り込みます。
こちらは「ブルー」塗装。うって変わってはっとさせられる色彩です。

先ほどの「熊野前」からでも、少し走っては駅に停車し、また走って…という感じでしたので、区内にたくさんの停留所が設けられていることが窺い知れます。それほど「地元に密着した電車」ということがわかりますね。

さて、この停留所を下車して道路を渡ったところには…
この「都電おもいで広場」という施設がありました。

こちらでは、かつて活躍していた「都電車両」が展示されていました。
まず目に留まったのが、流線型の、モダンなデザインのこの車両。


説明板を見ますと「昭和29(1954)年製造」の「PCCカー」という車両でした。当時の最新鋭の技術を以って登場した車両で、従来の車両と比べて走行音が静粛だったことから「無音電車」の異名もあったほどだそうです。

車内にも入ることが出来ました。「当時の最新鋭」とはいいつつも「床は木造」というのが、どことなく懐かしさを感じさせられるものでした。

その他にも、黄色の塗装をまとったこの車両も展示されていました。
「学園号」という掲示がありますが…

晩年の「朝ラッシュ時の通学のための運用」というところから、愛称が来ているのですね。これは興味深いものですね。

ところで、下車した「荒川車庫前」という停留所の名称のとおり、その前にはこの「荒川線・荒川車庫」が設けられています。


色も、形もさまざまな電車が留め置かれています。
車庫を観察するというのは、どちらの鉄道会社に行っても楽しいものです。

その裏手に回ってみることにしました。柵越しに、電車を観察出来ます。
黄色い塗装に、丸っこいボディの「6000形」という電車が見えました。
「都電荒川線」が「都内でただひとつ残った都電」になる以前から、各線で活躍していたという、由来のある車両だそうです。

その隣には、車体の真ん中が空洞になったこの電車も。
装飾や電飾などが施された、いわゆる「花電車」などとして使用されていた車両だとのこと。


その他にも、現在は使用されていない車両たちの姿も見られました。
関西人のわたしなどは、「都電荒川線」というと、この黄色に青ラインの「7000形」車両をまず想起してしまいます。

現在、主力車両だという「8900形」と並んだ姿。
いいショットを収めることが出来ました。

ということで、さまざまな車両を観察することが出来た「荒川車庫」でした。さらに、この近くには「都電」にまつわる「名物」もあるそうで…
今度は、4人でそちらへと向かうことにしました。
次回に続きます。
今日はこんなところです。