上州名物からっ風!上信電鉄沿線を巡る旅 その5 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「上州名物からっ風」に吹かれながら、高崎駅から「上信電鉄」沿線を巡った小旅行の様子をお送りしています。

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高崎駅を出ること1時間ほど、終点の「下仁田駅(群馬県甘楽郡下仁田町)」に到着したところです。高崎の市街地から田園地帯へ、そして山間部へと、変化に富んだ車窓とを、存分に楽しむことが出来た1時間でした。

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さて、折り返しまではちょっとした時間があります。
例によって、古く、味わいのありそうなこの駅をいろいろと観察してみたいと思います。

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まずは「入口」とは別に設けられた「出口」。鉄製の柵というのが懐かしいものです。もちろん現役ですが、簡素ながら味わいを感じます。

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その「出口」から、駅ホームを望む。先ほど乗車して来た「元・西武車両」の他に、顔つきの異なる、もう1編成の車両が留め置かれています。
こちらについては、折り返しの時にゆっくり観察してみたいと思います。

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駅舎正面へと出て来ました。やはり、県境の山々に近づいたところだということでしょうか、建物近くには残雪も見られました。

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その軒下を観察。古びた、木造の駅舎です。いい雰囲気ですね。
では、この「下仁田」については、「各駅停車全国歴史散歩11 群馬県」から拾ってみます。

こんにゃくのふるさと 下仁田
妙義・荒船・神津への玄関口
 上信電鉄の終着駅下仁田は、妙義・荒船・佐久高原国定公園に包含され、神津牧場や荒船山への玄関口である。

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 昔ながらの古い家並みを残す下仁田町は、昔から中山道の裏街道にあたる姫街道(ひめかいどう、「下仁田道」とも。主要な街道だった「中山道」から離れて設けられ、関所などでの厳しい取り締まりなどを逃れるため、女性が多く利用したことからこの名がついた。全国に同様の「姫街道」が散見された)の宿場町として栄えてきた。

 下仁田から右へ行くと姫街道は信州(現在の長野県)へ入り、左へ行く南牧への道は甲州(現在の山梨県)へ通ずる。このため戦国の世には武田信玄の軍勢が、風林火山の旗じるしをなびかせて再三この下仁田を駆け抜けた。
 また幕末には、水戸の天狗党を追ってきた高崎藩士が敗退した”下仁田の戦い”(「尊王攘夷」を叫んだ水戸藩浪士の集まり「天狗党」が1864年に起こした、倒幕を目的とした内乱。ここ「下仁田」で討伐の幕命を受けた高崎藩士との戦いとなったが、高崎藩士が敗北。のち、水戸藩士は投降し、その多くが厳罰に処された事件)のあったところである。
 
 下仁田の特産はコンニャクとネギである。一六世紀に紀州から伝来したというコンニャクは、そのほとんどが下仁田で栽培され、生産高は全国一位、全国生産額の四〇㌫以上を占める。
 下仁田ネギは風味のよいことで知られ、江戸時代には将軍の食膳に上がったことから殿様ネギともいわれている。逐次改良が加えられ、冬の味覚として京阪地方へも出荷されている。(出典同 P152)

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駅前にあった、ハイヤー屋さんの観光案内を観察してみるのですが…

古くからここ「下仁田」は、山向こうの「信州」や「甲州」とつながる「交通の結節点」であったとともに、名峰「妙義山(みょうぎさん)」や「荒船温泉」、また「神津牧場」への玄関口でもあるようです。
かつては、県境を越えた「佐久方面」(長野県佐久市)に向かうバスもこの駅から発着していたとのこと。ということで、県内でもかなり長野県に近いところまでやって来たことがわかります。

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くだんの案内板をさらに詳しく見ますと、ここから北へ進むと「磯部・松井田・横川」などと「JR信越本線」が延びているのがわかります。
あちらは「平成9(1997)年」の「長野新幹線開業」までは、県境の「碓氷峠(うすいとうげ)」を越えて長野県の「軽井沢」へと抜けていたのですが、こちら「上信電鉄」はここでレールが途切れています。

といいますか、この「上信電鉄」という社名、「上野(こうずけ、現在の群馬県)」と「信濃(現在の長野県)」のそれぞれの頭文字をくっつけたものです。建設時には、これらを結ぼうとした計画であったのでしょうか。

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駅舎の中に入ってみました。
大きな窓から入る陽射しが、実に明るい印象です。

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こちらは出札窓口の方。記念乗車券なども売られていました。

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こういった掲示板というのも、実にいい味を醸し出していますね。

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ところで、窓口の上にこれを見つけました。「上毛かるた」とあります。

実は、群馬県内では知らぬ人がいないほど、子どもの頃から浸透している「かるた」だそうで、県内の自然・歴史・地理・人物などがそのテーマになっているとのこと。

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ちなみに、ここ「下仁田」では「ね」でした。
「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」

なるほど、その土地のことがわかり勉強になります。
端に書かれた「児童福祉法推薦文化財」というのも頷けます!

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気になりましたので、さらに「上毛かるた」について調べてみましたら、先ほども登場した「各駅停車全国歴史散歩11 群馬県」に、その一覧が載っていました。

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「ね」は、先ほど触れたようにここ「下仁田」です。

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しかし、これは県内あまねく土地の名所や産業、歴史などが網羅されていて実に興味深いものです。
ちなみに、毎度おなじみ「Wikipedia」をひも解いてみますと…

毎年1月の予選大会の後、2月に行われる上毛かるた県競技大会に向けて、群馬県内の子供たちは、冬休みを利用するなどして練習に励む。そのため、子供時代を群馬県で過ごした人は、上毛かるたの読み札をほぼ暗記していることが多い。したがって、県特有の郷土かるたが存在し、それが県民に広く親しまれている地域は群馬県のみであると云う事実を、成人になって知る場合もある。

この「上毛かるた」の「大会」もあるのですね!
それだけ、群馬県民に親しまれているものだということがよくわかるとともに「地元愛の強さ」というものも感じられますし…大事な存在なのですね。

感心しながら、次回に続きます。
今日はこんなところです。