「JR東日本」全線完乗を目指す旅、群馬県北部を走る「吾妻線(あがつません)」の旅を続けています。
列車は「長野原温泉口駅(同)」を出発。
同駅から「昭和46(1971)年3月」に新しく、現在の終点「大前駅」まで延伸された区間に入りました。

「四万、沢渡、川原湯、草津」…など、古くからの有名な温泉が並ぶ沿線を通って来たのですが、列車はこの「羽根尾駅(はねおえき、群馬県吾妻郡長野原町)」に到着。島式ホームの小さな駅ですが、広い側線の駅です。
かつては、貨物の取扱いがあったのでしょうか。

駅名標を観察していますと「海抜六六九.一八M」という表記を見つけました。かなり標高の高いところにあるのがわかります。

この駅についても「各駅停車全国歴史散歩11 群馬県」から拾ってみます。
日本武尊の嬬恋伝説 羽根尾
”作物の第一等”は馬鈴薯
羽根尾、袋倉、万座・鹿沢口そして終点の大前の四駅は吾妻郡嬬恋村(つまごいむら)の領域に入る(注釈:正確には「羽根尾駅」は「同郡長野原町」に所在しているものの、集落の一部は「嬬恋村」にかかるようです)。
嬬恋村という粋な名前は、日本武尊の伝説から生まれた。
その昔、景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年-景行天皇18年。「古事記」「日本書紀」に登場する、第12代天皇。「日本武尊」の父に当たる)の命を受けて蝦夷を平定した日本武尊(生年不明-景行天皇43年、第14代天皇・仲哀天皇の父。熊襲・東国征討を指揮したことで知られる)が帰国の途中、信州との境にある鳥居峠に立ち、旅の半ばにして相模湾で入水して果てた愛妻・弟橘姫(おとたちばなひめ)をしのび、「吾嬬(あづま)はや」(ああわが妻よ)と三嘆したという(注釈:山向こうの隣県・長野県の県歌「信濃の国」第六番でも、この史実について「吾妻(あづま)はやとし大和武(やまとたけ)/嘆き給いし碓氷山(うすいやま)…」と歌われる)。
この伝説は『古事記』では足柄の里、『日本書紀』では碓氷峠としているが、ほかにもたくさんの伝説があって、鳥居峠や吾妻山もそのひとつで、吾妻郡(あがつまぐん)という郡名もそこから出た。
嬬恋村はキャベツなど高原野菜の産地として有名である。
また良質な馬鈴薯(ばれいしょ)の産地としても知られ、農林省の原々種農場が昭和二二年以来今日も活動を続けている。この地が高冷地でバイラス病(植物の葉に斑点がつき、生育が悪くなる病気)を受けつけないことが馬鈴薯には好適で、よい種芋を供給している(後略、出典同 P108)。
なるほど…「吾妻(あづま、あがつま)」の由来は「ああ、我が妻よ」と「日本武尊」が喪った妻を想い、嘆き悲しんだことが由来だったのですね。
悲劇的な史実が基にあったとは、ちょっと複雑な気持ちになります。
地名にはこのように、きちんとした「由来」というものがあるものですから、それを知ることはとても大切なことだなと、旅をしていていつも感じさせられます。


列車は「万座・鹿沢口駅(同)」に到着。
その「嬬恋村」の中心地に当たる駅で、やはり「万座温泉」と「鹿沢温泉」の最寄り駅としても知られているのですが、発着するのは普通列車のみで、さらにそのほとんどがここで渋川・高崎方面へと折り返してしまいます。
ここでもやはり雪景色なのですが、起点の「渋川駅(同渋川市)」からここまでは「52.5km」のキロポストが、ホームに立っていました。
鉄道ファンには「JRの駅の中では唯一、駅名の間に『・』が入る」ということで有名な駅です。

さて「吾妻線」もあと一駅、終着の「大前駅」までの区間を残すのみになりました。高架構造になっている線路からは、吾妻川の向こうに住宅街が見えるとともに…

その川沿いに、この「中居重兵衛之碑」が見えました。
説明の碑文もあるのですが、ここからではさすがに見えません(汗)
毎度おなじみ「Wikipedia」で調べてみますと、「中居重兵衛(なかい・じゅうべえ、中居屋重兵衛とも。1820-1861)」という人物は、江戸後期の豪商、蘭学者、とあったのですが、同時に「火薬の研究家」としても知られていたそうで、火薬の専門書を上梓したり、横浜開港直後、ここ上州産の生糸の輸出に携わり、大きな富を得たようです(その後、華美な生活を幕府に咎められ没落したとのこと)。
そういえばここ「上州」には「世界ユネスコ文化遺産」の「富岡製糸場」(同富岡市)がありました。生糸の生産は古くから盛んだった土地柄ゆえ、殊にここで生産された生糸は上質で、海外で大きな人気を誇っていたそうです。

列車は速度を上げて「国道144号(長野街道)」沿いを進んで行きます。
意外にというと失礼ですが、人家のない、うっそうとした山間部に「大前駅」があるのかと思っていたのですが、先ほども触れたように、このあたりは「嬬恋村の中心地」に当たります。

そして「新前橋駅」から1時間40分ほど、少しずつ薄暗くなりはじめた午後5時08分、ようやく「吾妻線」の終着「大前駅」(同)に到着しました!
わたしの他には、高校生が数名下車していくのみでした。


駅名標の「標高」を見ますと…「海抜 840.37m」。
先ほどの「羽根尾駅」では「669m余り」でしたから「わずか4駅」という短い距離で「約170m」も標高を上げて来た訳で、ちょっとびっくりします。いずれにしろ、ここは「高原」だということを実感します。

さて、一日5本の列車が発着するのみというこの「大前駅」。
折り返しまでは20分ほどあるので、駅の周辺を散策してみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。