JR東日本 全線完乗への道!その96~新前橋駅で途中下車 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「JR東日本」全線完乗を目指す旅、「高崎駅」からここ「新前橋駅(群馬県前橋市)」へとやって来ました。

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この駅では、ここまで乗車して来た「上越線」から「両毛線(りょうもうせん)」が分岐しています。

「両毛線」は、県下の主要都市である「伊勢崎」や「桐生」、そして県境を越えた「足利」や「佐野」などを経由して「小山駅(栃木県小山市)」までを結んでいるのですが、なんといっても、県庁所在地の「前橋駅」を通っているということが大きな特徴でしょうか。

「両毛線」の乗車記はこちらです↓
当ブログ
「JR東日本 全線完乗への道!その31」(2015年9月27日アップ)
(この時は路線を反対側から「小山駅→高崎駅」という形での乗車でした)

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そういったことで、「群馬県庁」をはじめ、主要な公的機関が立ち並ぶ「前橋中心部」に、重要な幹線だった「上越線」が経由していないということもあって、この「新前橋駅」は「県庁所在地・前橋の玄関口」としての役割も果たしているようです

ホームでは、高崎から10分ほど乗車して来た「両毛線直通小山経由宇都宮ゆき」の到着を待って、「上越線」の「水上ゆき(同利根郡みなかみ町)」(左側)がすぐに発車して行きました。

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さて、ここからは「未乗線区」のひとつである「吾妻線(あがつません)」に乗車することにしています。
正確に言うと「吾妻線」はここから上越線を少し北へ行った「渋川駅(同渋川市)」から分岐しているのですが、普段は「吾妻線」の普通列車は、この「新前橋駅」発着が基本になっているようです。

ということで、乗車するのは「15時20分発 普通大前ゆき」。
30分ほど時間があるので、ここで途中下車することにしました。

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ところで、この駅には隣接して「高崎車両センター」があります。
そういうことで、留置線には「高崎線」や「上野東京ライン」「湘南新宿ライン」で使用されているこの「E233系」や…

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ちょっと珍しい電車の姿も見られました。
手前は、ジョイフルトレイン「宴(うたげ)」。

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奥にもやはり、ジョイフルトレインの「リゾートやまどり」という編成が留め置かれていました。これから乗車する「吾妻線」にも、臨時快速で入線したことがあるようです。
しかし、車両基地を眺めるというのはどこへ行っても楽しいものです。

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出札口で下車印を捺して貰い、改札を出ます。

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東西自由通路にあった、駅周辺の地図ですが…

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駅の北端で左に「上越線」、右に「両毛線」とがきれいに分かれています。
古くから、ここ「新前橋」は「交通の要衝」だったようです。

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駅の構外に出て来ました。三角屋根の、瀟洒な駅舎です。

寒空のもとタクシーが数台、客待ちをしているのですが、意外にも駅前は閑散としていましたので、思わず先ほどの「高崎駅」のにぎわいを思い出してしまいます。

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ところで、駅前のロータリーに、気になる記念碑を見つけました。

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「新前橋驛 朔太郎」とありますが…
ひょっとして、国語の授業で習うあの「朔太郎さん」なのでしょうか?

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では、この「朔太郎」の碑と「新前橋駅」の成り立ちについては…

今回の旅でも登場、わたしの旅するおともだち、
「各駅停車全国歴史散歩11 群馬県」
(土井 耕作著・河出書房新社刊 昭和58年7月初版 絶版)から拾ってみます。

県都の西玄関 新前橋
朔太郎の詩に登場
 上越線と両毛線の分岐点となっている新前橋駅は、県都・前橋の西玄関である。新前橋駅の開設は大正一〇年七月、上越線の渋川―高崎間の開通を機に、群馬総社、八木原、渋川の各駅と一緒に誕生した。当時このあたりは群馬県東村大字古市といい、駅周辺は人家もまばらな水田と麦畑が広がる田園地帯だった。

 野に新しき停車場は建てられたり 
 便所の扉風に吹かれ
 ペンキの匂い草いきれの中に強しや
 烈たる日かな
 われこの停車場に来りて口の渇きにたへず
 いづこに氷を喰まむとして売る店を見ず
 ばうばうたる麦の遠きに連なりながれたり…

 これは前橋が生んだ郷土の詩人、萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう、1886-1942。群馬県東群馬郡北曲輪町=現在の前橋市=出身。大正時代に近代詩の新しい世界観を構築し「日本近代詩の父」と呼ばれた。代表作に「月に吠える」など)がうたった『純情小曲集』の中の「新前橋駅」と題した一説だが、「われこの停車場に来りて」から「売る店を見ず」までの一節が額に入れられて、同駅の待合室に飾られている。
 氷水を売る店すら見当たらない、当時のほうぼうたる麦畑の中の駅舎の様子がしのばれる。以来六十数年、古びたその駅舎は、まもなく装いも新たに立体高架の橋上駅に生まれ変わり、北口も新設されることになっている。
(出典同 P68)

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やはり、あの「萩原朔太郎」の詩文をモチーフにしたものです。
いっぽうの記念碑には、その朔太郎が実際に目にしたであろう「新前橋停車場」のイラストもありました。

見るに木造の簡素な駅舎という印象ですが、先ほどの詩の中にもあったように、開業当時の大正期には、この駅や汽車というのは、「一面の麦畑の中に突如、登場した近代を感じさせる斬新な存在」だったのでしょうね。
歴史の経過を感じさせる、意義深い碑文のように感じます。

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さて、再び改札へと戻って来ました。それでも、あと20分ほどあります。
ホームは寒いので、コンコース内にあった座布団つきベンチでしばし待機。

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発車時刻の10分ほど前に、乗車する「吾妻線・大前ゆき」が折り返し入線して来ました。高崎からここまで乗車して来たのと同じ、ロングシート(窓に背を向けて座るタイプ)の「211系」という電車です。

「吾妻線」は景色のよいところを走るので、ちょっとがっかりでしたが…

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と、4両編成の一か所、トイレの前にこの「クロスシート」を発見しました。

おそらくは、トイレ(左側にある)から出て来る乗客と視線が合わないようにするための座席配置なのでしょうが、せっかくなので、ここに陣取ることにします。ただし、進行方向とは逆向きです(汗)

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定刻の15時20分、未乗線区の「吾妻線」へ向けて「大前ゆき」は発車。
繰り返しますが、後ろ向きでの画像です(笑)

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西へ向かう「両毛線」と徐々に別れて行きます。
こちらは「吾妻線」に入るまで、しばらくの間「上越線」を「渋川駅」まで走ります。

次回に続きます。
今日はこんなところです。