松阪晶子さんのデビューシングル「まっすぐに」の魅力を語る 後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
長年、わたしが敬愛するシンガーソングライター・松阪晶子さんのデビューシングル、「まっすぐに」(平成5年6月2日リリース)について、感じるその魅力について、わたしなりの視点から語るということをしています。

この「まっすぐに」という楽曲は「シンガーソングライター」という、ひとつの「夢」を叶えた晶子さんの「デビュー曲」である、ということは、先般の記事でも触れた通りです。


しかし、それ以上に、齢18にして故郷・盛岡から上京し、東京で「修行時代」を経た晶子さんの、「シンガーソングライターになる」という「ひとつの夢の実現」のためにひた走った、その時の苦楽の実直な思いが切々と綴られている、という見方も多分にされるものだと、わたしは思います。


イメージ 5
 

それでは、そういう観点からの考察も含め、晶子さんがメジャーデビューした頃のインタビューを拾ってみたいと思います。

 
イメージ 2
 
SHOKO MATSUZAKA
72年生まれ。岩手県出身。幼少の頃から民謡を習い、中学でバンドを結成。レベッカやボン・ジョヴィのコピーをする。15歳の時、ヤマハ主催のコンテストでスカウトされ、18歳で上京。デビュー曲「まっすぐに」をはじめ、詞・曲を自身で出がける。印象的なメロディ・ラインと素直な詞の世界を増幅させる柔軟なボーカルが強み。続く2ndシングルも8月に発売予定。
 
イメージ 1
 
東京って中身を隠してるような気がして…
まっすぐな瞳の奥に
SHOKO MATSUZAKA
(PHOTO)SHOJI MAEDA
(TEXT)TATSUYA KANEDA
 
6月2日、「まっすぐに」でデビューしたばかりの松阪晶子は、シングル・タイトルそのままに、大きな目の輝きが印象的な21歳だ。しなやかでハリのあるボーカルには早くも大器の予感が…
 
両親が民謡の先生だった松阪晶子は、3つのころから民謡を歌っていた。
「歌うことは好きだったんです。で、テレビはあまり観ちゃいけないって言われていたから、なんかずっと民謡を歌ってた」
 
そんな彼女が、初めてバンドを組んでコピーしたのは、レベッカの「フレンズ」だった。
「中2のとき。とにかくすごい新鮮でどっぷりはまっちゃった。音のうるささにもびっくりしたし、これしかないな、と」
 その時、彼女を捕らえたのは体の底からエネルギーを発散することの快感だったという。
 
「民謡とロックって根本的にはあまり変わらないと思う。ロックは、ただ単に現代調になっただけ。音がうるさくて、雄叫びをあげるものって感じ。で、ポップスは口のまわりで歌う感じでしょ。でも、ロックってファーっとお腹から歌うじゃないですか。だから、バラードでもなんでも、ロックを歌うならお腹から声を出さずにはおかない、みたいな(笑)」
 
 松阪晶子はなかなかに魅力的な声で話す。若い女のコに特有の、表情が豊かでキュートな声だ。でも、彼女は、普段話してるような声で歌うことには興味がない。
「普段話している声で、語るように歌うことは自分のめざしている歌とは違う」と、はっきり自覚している。いつも、お腹から声を出して力いっぱい歌う。本人は「極端が好きだから」と、笑うだけだけど。
 
イメージ 3
 
 デビュー曲「まっすぐに」で、彼女は”思い煩うことをやめて、前向きに生きていきたい”と、歌っている。彼女が今、歌うことで伝えたいメッセージは、ほぼこの曲のなかに表現できた、という。
 
「今はただ歌いたくて、自分が気持ち良くステージで歌えるような歌ってことしかないんだけど…閉ざしているものを、もうちょっとオープンにしてほしいな、って気持ちは、すごいありますね。東京の印象がそうなんですよ。表面はうちとけてるように話してるけど、中身をすっごく隠しちゃって。
私は、それが悲しくて泣き出しちゃったりすることもあるくらい
 
(参照…「時々冷たく感じる言葉を/みんなはいつもだと話すけど/その時の痛みを笑い飛ばせるほど/私はそんなに強くはない」
「気づかないふりしながら/黙ってるけど/行き止まりの道を行ったり/来たりしてる」…という一節に、その気持ちは現われているように感じます)
 
 岩手県の盛岡から単身、東京へ出て来て3年がたった。バンド・コンテストで認められてロック・シンガーを志し、高校をやめた年から数えると6年目である。その6年間は、彼女にとっては”修業時代”とでも呼ぶべきハードデイズだったはずだが、彼女は決して深刻になることなく楽天的に自分の幸福を信じていた。
「もともと、なんかいつも”あれ?これ運がいいんじゃない”ってことが多くて、コンテストで認められたことも、デビューできたことも、みんなそうかな、と。なんでもそうみたい」
 
 彼女の東京との出会いは、クジで当てた東京ディズニーランドの招待券だったという。小学校6年生のとき、買物の景品がわりにひいたクジで東京ディズニーランドの招待券を当てた。その年(昭和58年)は、ちょうど東京ディズニーランドがオープンした年で、彼女は友達のだれよりも早くディズニーランドを体験した。彼女と東京はなぜか相性がいいのかもしれない。
 ちなみに、彼女の最初の東京の印象は「とにかく人が多いところだな」というものだった。「人の多さと階段の多さにびっくりしちゃった」
 
 すでに10曲のレコーディングを完了しており、アルバムのリリースも可能な状態だけれど、慎重にリリースのタイミングや状況をはかっている。ライブも同様だ。
「ライブは早くやりたい気持ちもありますが、自分を求めてくれる人が少しでも多いほうが一層盛り上がるでしょ。私、猫みたいな性格なんです。好意を持ってても、相手が呼んでくれるまでは自分から動かないの(笑)」(終)
 
わたしが「まっすぐに」という楽曲を聴くたびに、強い印象を受けるのは、
「とにかく、自分なりに必死に走り抜ける」ということのように感じます。
そしてその中に垣間見える、人間らしい感情や優しさというものって、いったい何なのか…という、厳しい試練や、深い悩みの中(本文中「深刻になることなく楽天的に…」というくだりはありますが)にあっても「人間として生きる本質というのは何なのか」ということを「上京」という「下積みの場」ではっきりと見いだしたという晶子さんのこの楽曲は、生きていく中で不安にかられたり、行き先が見えなくなった時、いわば暗闇の中でも、灯台の光のように、すっと、導いてくれる尊い存在のように感じます。
 
イメージ 4

以前の記事でも触れたのですが、この「まっすぐに」を含む、翌年6月にリリースされたデビューアルバム「夢を眠らせない」に共通する「決して強くなくていい、弱くていい。大切なのは、ありのままの姿で生きていくことだ」という、晶子さんの、今後、続く楽曲に共通するこの本質というのは、上京して、さまざまな経験をした晶子さんの、この「まっすぐに」をはじめとする、デビューアルバム「夢を眠らせない」によって代弁されていて、その精神はしっかりとこの楽曲からはじまっているのだなと、聴くたびに心に刻まれるように思えて仕方ありません。

わたしが今日まで、そして、きっと今後も、晶子さんを敬愛し、ついて行こうと思うのは、そういったところがいちばん大きな要素なのだろうな、とも感じますし、「シンガーソングライター・松阪晶子」のスタートとなったこの「まっすぐに」という楽曲は、わたしにとって、実に尊い存在であるのだなと、あらためて思います。

参考までこちらもどうぞ↓
YouTube動画
松阪晶子「まっすぐに」
 
♪「まっすぐに」松阪晶子
 
「まっすぐに」松阪晶子 ファーストライブ

おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。