みなさんこんにちは。前回からの続きです。
先月、家族でびわ湖の北、古くからの街並みが残る「長浜」(滋賀県長浜市)をぶらりと散策した際の様子をお送りしています。

さて、さっそくこの、おいちゃんと子どもが見つめるという絵にはビックリされるお方も居られるかも知れないですが…
JR北陸本線・長浜駅近くにある、現存するものとしては日本最古だという、「旧長浜駅舎」の内部。明治の開業当初の様子を、模したものだそうです。

さて、この「旧長浜駅舎」には、実にさまざまな、それもレトロなものが展示されていました。まず気になったのが、この入り口すぐの鉄道地図。

「GENERAL MAP OF RAILROADS IN JAPAN」…
これは「全日本鉄道公式地図」とでも訳せますでしょうか。しかし、古そうなものです。

端々を観察してみますと「昭和22年印刷発行」の文字がありました。
時代背景を考慮すると、おそらくは「GHQ(占領軍)向け」のものでしょうか。

その中の、京都・大阪・神戸三都市を拡大したもの。
大阪湾に浮かんでいるのは「淡路島」ですが、島内には鉄道路線が敷かれているのが目に留まります。昭和41(1966)年までは、この島には「淡路鉄道」(現在はバス会社の「淡路交通」)という、小さな私鉄が実際に走っていました。
あの淡路島に鉄道があったとは、いまでは、なかなか信じられないことですが…

「大阪駅」周辺を、目を凝らしてみます。
ちなみに、自宅の最寄り駅もちゃんと載っていました(笑)
しかしよくよく見るに、太線と細線でいちおう区分けはされてはいますが、国鉄も私鉄もいっしょくたに、それも細かいデフォルメで描かれています。
しかしよくよく見るに、太線と細線でいちおう区分けはされてはいますが、国鉄も私鉄もいっしょくたに、それも細かいデフォルメで描かれています。
先ほども触れたように、これが「外国人向け」ということもあってなのでしょうか、すべて「ローマ字表記」というのが、いままでに見たことのない斬新さすら感じます。

続いては、その横にあったこの「大日本全国鉄道路線図」なるもの。
大きさからこれはなかなか、壮観ですね。

こちらの方は戦前のもののようです。
当時、日本領だった「樺太南半分」や…

これは「朝鮮半島」の鉄道網。
政治的な話しはわたしのブログではしないのですが、南北に分断はまったくされていません。

こちらは「台湾」ですね。

そして、これは日本が租借していた「遼東半島」でしょうか。
発行された年代を確認するのを失念したので、いつ頃のものかはわからないのですが、それにしても戦前の旧日本領では、鉄道網がこれほど発達していたのですね。実に壮大なものを見ることが出来ました。


それではかつて、長年実際に使用されていたこの「旧長浜駅舎」を順に、展示とともに拝見して行きたいと思います。

ちょうどここが「出札口」。なかなか、これは雰囲気がありますね。


待合室の室内へと続く、最初の部屋の壁には「太湖汽船(たいごきせん)汽船時刻表」なるものがありました。
この建物、確か「旧長浜駅舎」のはずですが…
実は、現在の「東海道本線(JR琵琶湖線)」の米原から、県庁所在地の大津
方面へは、開業当初にはまだ路線が建設中で、つながっていませんでした。

そういうことで、東京・名古屋方面からやって来た乗客はここ「長浜」で下車し、大津・京都・大阪方面へは、びわ湖の南西(地図では左下)へと「汽船」に乗り継ぐという方法が、ほんの短い期間ですが、明治時代初期の「東海道本線全線開通」の間まで採られていたそうです。そういうことで、この「長浜駅」は「鉄道と航路との結節点」として、重要な役割を果たしていたようです。
もっというと、かつてはこの駅舎のすぐ裏手まで「湖岸」だったとのこと。
ですので、さっき、クルマを停めた「豊公園」はかつてはまさに「びわ湖」の真っただ中だったのだな、ということにもはたと気付きます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。