松阪晶子さんの神髄!シングル「燃える瞳を持ち続けて」とアルバム「夢を眠らせない」前編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。

 
さて、わたしのブログは、長年、わたしが心の支えにしているシンガーソングライター・松阪晶子(まつざか・しょうこ)さんの楽曲の一節から「タイトル名」を頂いたりして晶子さんの楽曲の世界の魅力を、みなさんに少しでもお伝えしようという試みをしています。
 
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今回、取り上げるのは晶子さんの通算5枚目のシングル「燃える瞳を持ち続けて(c/w 一秒の未来)」(1994年5月11日リリース)という楽曲です。
 
のちに、晶子さんの最大のヒット曲、そして代表曲となった楽曲なのですが、これについてや、この楽曲が収録されているファーストアルバム「夢を眠らせない」について、二回に分けてあれこれと語りたいと思います。
よろしければどうぞおつきあいください。
 
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ゆったりとした、「悠然」というイメージのあるバラード曲「まっすぐに」(1993年6月2日リリース)でデビューした晶子さんなのですが、この「燃える瞳を持ち続けて」という楽曲は、それまでにリリースされたものと比べ、明らかに一線を画した、実にパワーあふれる、エネルギッシュなものになっているように感じます。
 
ところで実は、わたしが晶子さんと最初に出会ったのは、この「燃える瞳を持ち続けて」でした
 
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この楽曲はリリース当時、頻繁に放送されていた、とあるジュエリー会社のCMのテーマソングだったのですが、そのサウンド、歌詞をはじめて見聞した時のことはいまでも忘れていません。以上、YouTubeより。
 
その中で、際たるものが、
「燃える瞳を持ち続けて/
 熱く熱く体震わせて/
 自分を信じて目をそらさないで/
 ここからはじまる伝説/
 この手でつくり出す/
 ここから伝説を/
 この手でつくり出す」…という、歌詞の最後の一節です。
 
高校生だった当時、鬱屈な毎日を過ごしていた、自分自身にまったく自信のなかった自分にとって、この「伝説をつくるのは自分自身なのだ」というこのメッセージには、まさに身体の中を閃光が走るような、いままでにない衝撃を感じました。
 
そういうことで、現在でも、なにかしんどいことがあったり、つらいことがあったりした際には、必ずわたしはこの曲に「原点回帰」をします。それはわたしがこの楽曲を知って、人生観が180度、いや360度変わったからでしょうか。
「この人の世界についていけば絶対に大丈夫だ」と思ったほどでした。
 
そして、その気持ちは今日も、そして今後もまったく変わりのない尊いものであり、自分に、実に深く刻み込まれたものだと確信しています。
 
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ただ、次に発表された「一粒のダイヤを探して」という、6枚目のシングルに関しての、後日のインタビューなどを見ますと「あれ(燃える瞳を持ち続けて)はとがった松阪晶子の表現だった」ということが述べられています。
 
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そう聞くと「自分が伝説を、ここから自分のこの手でつくるのだ!」というくだりは、いままでに見聞したことのないほどの、ものすごい表現であったことだと合点が行きますし、そのあたりは、晶子さんの他の楽曲とは異なる味わいの、とんでもなく強いメッセージ性のあるもののように感じます。
なおさら、先述したように「衝撃の出逢い」でしたから「燃える瞳を持ち続けて=松阪晶子」という図式は、いまなおわたしの中には強くあるほどです。
 
おりしも、この楽曲を含むファーストアルバム「夢を眠らせない」の楽曲の多くは、齢18にして単身、岩手から上京し、不安な気持ちを抱え、メジャーデビューを夢見て楽曲づくりに精励していた時に作られたそうなので、これは「その時の晶子さんの偽らざる本音と強い意志」だったのではないかと感じます。
 
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では、そのあたりについては当時のインタビュー記事から拾ってみます。
 
…「燃える瞳を持ち続けて」以外は、すべてデビューする前に作った曲なんです。(アマチュア)バンド時代の曲、強気で上京したけど東京ってコワいと思った曲、でもそんな気持ちをハネかえさなきゃって作った曲、その時々に起きた出来事を、ストレートにありのまま表現してるんです。
 
タイトル曲の「夢を眠らせない」がすべての曲のキーワードになっていて、曲調もポップス、バラード、シャッフルとバラエティに富んでいます。ハードで骨太のギターサウンドがすごく好きなんで、その辺にはこだわって作りました(後略)…
 
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ですが、先述したように、この楽曲というのはわたしにとって「人生観を大きく変えてくれた楽曲」であることに、なんら変わりはないものです。
「人間として生きて行く上での強い意志」を指し示してくれている「実に尊い人生観の現れ」であるとも思っています(思い入れの問題かも知れませんが…)。
 
もっというとちょっとニュアンスが異なるかも知れませんが、「窮鼠猫を噛む」ということわざがありますが、その当時のわたしにとってはまさにそれだったのかも知れません。先述しましたが、この楽曲は、自分に自信を持たせてもらい、大人になった今も、この先ずっと目指すべき「人生の礎」として常に心の中にある、実に尊い存在である、とも信じています。
 
では、このファーストアルバム「夢を眠らない」について、さらに当時のインタビュー記事を探って行こうと思います。

長文、おつきあいくださりありがとうございました。
次回へ続きます。今日はこんなところです。