初夏の東北をひとり旅、宮城・岩手両県にまたがるJR線の未乗線区を乗り鉄した際の様子を、シリーズでお送りしています。

この日は仙台を朝に出発し、あちこち立ち寄ってこの気仙沼駅(けせんぬまえき、宮城県気仙沼市)に到着したのは午後2時を回ったところでした。

岩手県との境に近く、南三陸の玄関口として知られている気仙沼。
古くから港町としても有名なところですが、駅名標が錨になっています。
これはおもしろいですね。

また、ロータリーになかなか立派な灯台があったりしました。
港町という雰囲気が駅前に居ながらにして感じられるものです。

では、この「気仙沼」については…
「各駅停車全国歴史散歩5 宮城県」
(河北新報社編 河出書房新社刊 昭和59年4月初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。
南三陸沿岸部の拠点都市 気仙沼
「計仙麻」で登場
現在の気仙沼市は、面積一八三・九八平方キロ、人口六万九○○○人、世帯数は一万八八○○を数える。豊富な水産資源と観光資源を大いに活用し、”活気に満ちた南三陸沿岸の拠点都市”をキャッチフレーズにしている。
延喜三年(九○一)年に藤原時平(ふじわらの・ときひら、871-901。平安前期の公卿。菅原道真と対立し、大宰府へ左遷させたことで知られている)らが編んだ「三代実録(さんだいじつろく、平安時代に編纂された歴史書)」巻一に(中略)”計仙麻”の名が出ている。
また、延長五年(九二七)の「延喜式(えんぎしき、平安時代中期に編纂された律令。現在の法律や条例の類に相当)」にもこれが出ているので、気仙沼地方開拓の歴史はきわめて古い。”計仙麻”は「けせま」あるいは「けせんま」と読まれるが、一説には、アイヌ語の「ケセ・モイ」(最端の港、入り江の意)の転訛だ、という。
いずれにしても早くから開けた所であったころは事実で、平泉の藤原時代には”細浦”とも呼ばれ、平泉の門戸として中国大陸との交易の拠点の役割を果したとされている。(後略、P187-188)
「気仙沼」という独特な地名についてですが、どういう由来があるのかなと思っていたのですが、アイヌ語が由来だったのですね(諸説あり)。
「アイヌ語地名」というとまず北海道が浮かんで来るのですが、古来には、このあたり東北地方にも影響力があったようで、宮城・岩手・青森などにはアイヌ語が由来ではないかと言われる地名が、結構点在していたりします。
では、続きます。

東北唯一の海中公園
明治元年、気仙沼地方は上野高崎藩(現在の群馬県高崎市を治めていた藩)の取り締まり地となるが、同四年までの間に、行政区は桃生県(ものうけん)、石巻県、登米県(とめけん)、一関県、水沢県とめまぐるしく変わり、明治五年、やっと町に気仙沼村役場が設置されている。明治二○年、町制が施行され、気仙沼町となっており、当時は人口が五七四六人、九八九世帯という規模であった。昭和二八年、気仙沼町、鹿折町(ししおりまち)、松岩村が合併して気仙沼市となった。(中略)

気仙沼市のこの後の発展は、まことに著しい。まず昭和三九年には、気仙沼湾に浮かぶ大島と噴潮で有名な岩井崎地区が陸中国立公園に編入、指定され、同四四年には、気仙沼漁港が第三種大規模漁港の指定を受けている。
さらに四六年には、気仙沼湾が海中公園に指定され、同五二年には、気仙沼線が全線開通した。続いてこの一年後には気仙沼商港が国際貿易港に指定されている。
今、気仙沼市が誇らしげに使っている”活気に満ちた南三陸沿岸の拠点都市”というキャッチフレーズは、気仙沼市が辿った順調な発展に裏打ちされたものなのである。(後略、P188)
国際的にも貿易港としての地位にある気仙沼だったのですね。
東日本大震災では大津波で大きな被害を受けた被災地のひとつですが、港湾部の復旧なども徐々に進んで来ていると言います。

さて、駅へと戻ります。
コンビニ兼おみやげ屋さんが同居するという待合室でした。

旅をしていると、その土地で販売されている地方紙についつい注意が行ってしまうわたしです。ここは宮城県なので「河北新報」が地元紙ですが…

ここは宮城県の最北端。隣は岩手県ということもあって、岩手県の地元紙「岩手日報」も取り扱われていました。こういったことで、その土地の地域性をいろいろ想像するのもわたしの旅の楽しみのひとつです。


さて、この待合室にはこんな模型もありました。この気仙沼駅を模したものです。

山際から列車が近づき、停車しているのはBRT。

同一のホーム上で、列車からバス、バスから列車へと、バリアフリーで乗り換えが出来るこの駅の構造というのは、よく出来たものだなと感じます。
全国的に見てもなかなかない斬新なものだとも思えますし、バスと鉄道とのスムーズな結節がなされているという点では、今後、他の地域でも実現しそうにも思えるものです。

さて、ここから乗車するのは再び「BRT」。
未乗区間の「大船渡線BRT線」です。

今朝から使用している「盛岡ゆき」の乗車券のルートからは外れるので、ここから「盛駅(さかりえき、岩手県大船渡市)」までのBRT乗車券を購入。
盛までは、1時間半ほどの道のりです。



再び構内へ。華やかな、七夕の飾りが迎えてくれました。

その向こうに、BRTが入線して来ました。

「盛(さかり)」と記された行き先表示、ちょっと珍しいものですね。

乗車を待っていた10名ほどが乗り込んで行きます。
先ほどの気仙沼線BRTと同様、地元の用務客と思しき人々が主でした。

側面の経由地…気になる「奇跡の一本松」という文字を見つけました。
バスから見えるでしょうか、ちょっと期待して乗車したいと思います。

これから乗車する「大船渡線」は、この駅を境にして、一ノ関方面は鉄道、盛方面は先ほど触れたようにBRT線と、運行形態が分かれています。

駅の盛方面を見ますと、舗装された専用道が続いています。
大船渡線BRTはここからかつての線路跡をそのまま進むようです。

それでは県境を越え、引き続いてBRT線で「大船渡・盛」へと向かいます。

次回に続きます。
今日はこんなところです。