初春の瀬戸内海を高速船で、呉港(広島県呉市)から松山観光港(愛媛県松山市)へと向かっています。

呉から、松山まではこの高速船で約50分。
瀬戸内海を南北に縦断して行くルートなのですが、凪いでいるというイメージの海面の時が続いているな、と思っていると、急に波が高くなったり。
天候も、厚い雲が続いたり切れたり、その合間から、夕陽が射しこんだり…と、空も海も実に慌ただしい(もとい、表情が豊か、ということでしょうか)ものでした。そういうことで、体感している方はなかなか愉しいものです。

では、前回に続き、夕陽を浴びた瀬戸内海の光景を、スクリーンショット風にご覧ください。もうすでに、愛媛県に入っています。



海がまるで漆黒のように感じられた、このショットでした。
自然というのは不思議な姿を見せてくれるものだなと感嘆します。
心が洗われるようです。



所定の時刻より5分ほど遅れ、松山観光港(愛媛県松山市)に到着!
吹き抜ける潮風は心地よく、そしてやわらかく感じられました。

いよいよ、四国・松山上陸です。
伊予だけにいよいよ…また出てしもうた(笑)
それはともかく、ここから四国に入るのは二度目です。
夜に大阪・南港を出て、早朝にこの松山観光港に降り立ったと記憶しています。

到着した「松山観光港」ですが、地図を見ますと、入り組んだ湾の中に位置していることがわかります。
その対岸へと向かう、渡し船(フェリー)も発着しているようです。
地図の航路をさらに見ますと、「小倉」の文字も見えます。
調べてみますと、一日1往復が「小倉港」(福岡県北九州市小倉北区)まで夜行便が運航されているようです。中四国のみならず、九州方面へも洋上交通の要衝なのですね。

ではここで、先日の記事でも取り上げた、わたしの旅のこちらの愛読書、
「各駅停車全国歴史散歩39 愛媛県」
(愛媛新聞社編 河出書房新社刊 昭和55年3月初版 絶版 P17-18)
から、この「松山観光港」について取り上げてみたいと思います(記載内容は発行当時のものです)。
年間一八〇万人が乗降
港の最も新しい顔は松山観光港だ。旧高浜桟橋が手狭で、古くなったために、北八〇〇㍍の場所に移ってから約一〇年になる。発着する船の最近の大型化、高速化は著しく、ここから大阪神戸へは九~一〇時間、三原へは一時間二〇分、広島へは一時間、別府へは四時間、小倉へは七時間。年間あわせて約一八〇万人もの人が乗降する。
観光港がにぎわいを見せるのは、夜に入ってからの阪神方面出航時間だ。松山名物のカマボコやチクワが昔ながらに、手みやげで飛ぶように売れている。船客もまた、昔ながらに船で一泊して翌朝に阪神に上陸する安上がりの旅に出ていくのだ。海の汚れを心配して、数年前から別れのテープは使用禁止になってしまっているけれど、桟橋を暗やみに消えていく船など、昔ながらの哀愁がいくつもただよっている(後略)。

ところで、先ほどの文中では、ここから大阪・神戸ゆきの船便がたいそうにぎわっている、という趣旨のくだりがあります。
ですが、現在では、ここから阪神方面への便は運航されていません。
かつて「ドル箱」だったという、四国と大阪・神戸方面を結ぶフェリーが徐々に姿を消したのは、本州と四国を結ぶ三本の橋の開業が大きな影響だったといわれています。

これはそのひとつの「今治・尾道ルート」、いわゆる「しまなみ海道」の全貌を示したものです。サイクリングで旅する人々も多いと耳にします。
ちなみに、その「3本の橋」が開業する前の、関西から四国へと向かうフェリーの運航状況はどんなものだったのか、というと…

「交通公社の時刻表」昭和56年3月号より(これでもその一部です)。
その大阪・神戸着発の便も、複数の会社が運航していたり、なおかつ発着する港も多岐にわたっていたり、というにぎわいぶりです(出典 P509)。

その中で白眉ともいえる、文中にあった松山発着の便は「関西汽船」が運航していました。それも、大阪・神戸~九州・別府とを結ぶ便がここ松山に立ち寄っていたというのが当時の時刻表から伺えます(出典 P529)。
先ほどいよいよ四国上陸、と先述したのですが、前回にここ松山観光港へ上陸したのは、その「関西汽船」が運航していた「さんふらわあ」でした。
現在はもう、なくなってしまったのですね。ちょっと残念でもあります。
ですが、往年はたいへんなにぎわいだったのでしょうね。


さて、ターミナルへと向かうのですが、お世話になった高速船「瑞光」、こんな形をしていたのですね。船の形というのは鉄道車両とは異なり、実に多種多様で、独特さを感じます。

最後は、かなり揺れまくっている状況でしたので、降りた時にはちょっと平衡感覚が、となったのですが、どっこい自然のことですからね…
すばらしい瀬戸内の光景を見せてくれて、ありがとうございました(*^^)v

さて、ここが松山観光港ターミナルです。
先ほどの呉のそれとは異なり、彩光が気持ちよいなという印象を受けます。

広島へと折り返す便のあとにも、フェリー便も含め、結構な頻度で運航されているということで、利便性が高いのですね。気軽に行き来が出来るから、ということで、それゆえ需要も多いのでしょうか。
しかし、案内一番下、「行先 広島 フェリー 20:10 機関故障のため欠航」…
これはエライことです( ゚Д゚)
最終便なので、予定の人は果たして知っているのかと心配してしまいますが…

さて、ターミナルビルの中をぐるりと見渡してみますと…

売店の「IYOTETSU」(伊予鉄道)や、「タルト」の文字などを目にするに、「松山に来たのだな」と実感します。わたしなどは、旅情の実感をこういう瞬間にいちばん感じます(同時に、ちょっとうれしくなる瞬間でもあります)。

それ以上に「ここは四国なのだな」ともです。
四国八十八か所巡り、お遍路さんのグッズも置いているのもならではですね。

ところで、時刻はもう午後4時半をまわっていました。
ここからどうするか…というところですが、この松山観光港は市内中心部からは少し離れたところにあります。
至近(と言っても徒歩や連絡バスに乗ったりが必要ですが)には、伊予鉄道(いよてつ)「高浜駅」があるのですが、いかんせん時間の問題があるので…

あれこれと、思案しながら構外のバス乗り場に出ますと、この青いバスが停まっていました。近くに居られた案内の方に聞きますと、先ほどまで乗船して来た高速船と接続するいよてつのリムジンバスで、松山市内の中心地をあちこち経由する便だとのこと。
これに、ありがたく乗車することにします。
陸に上がってはいますが、まさに渡りに船です(笑)
次回に続きます。
今日はこんなところです。