先月、初春の瀬戸内を旅した際の記録をお送りしています。

呉港(広島県呉市)から乗り込んだのは、この高速船「スーパージェット」です。行先は、松山観光港(愛媛県松山市)です。
いよいよ、これで四国へと渡ります。
今回の旅、瀬戸内海の景色も楽しみにしていました。

「スーパージェット」内はこのような感じでした。
ですが、すでにたくさんの乗客が乗り込んでいて、殊に二人掛けの窓際はすべて埋まっている状況でした。というのも…

この「スーパージェット」、松山観光港ゆきは「広島・宇品港(うじなこう、広島市南区)」が始発で、途中、この呉港に立ち寄るのだとのこと(今回、利用している割引きっぷでは宇品港からの乗船は不可)。
そういうことでようやく、船内の事情が理解出来ました。
となると、松山観光港から乗船する場合は、好きな席に座ることが出来るということですね。出来れば、窓際から風景を愉しみたかったのですが…

それ以外の席は空いていたので、ともかくそこへ着席。
出航まで少し時間があったので、前の席にあった案内などを拝見します。

愛媛名物の「栗タルト」と、広島名物の「もみじ饅頭」が並んでいるという、松山・広島の両都市を結ぶ、この高速船ならでは?のお土産メニューでした。
「ポエム」もありますね。わたしはこれも好物です(*^^)v

これらを取り扱っている売店は、案内所も兼務しているようです。
高速船を運航している「石崎汽船」という会社は、他にもさまざまな航路があるようで、その時刻表がたくさん置かれていました。

先ほどのお土産メニューとも相通じる趣旨ですが、「いよてつ」(伊予鉄道)と「ひろでん」(広島電鉄)のフリー乗車券も取り扱っているようでした。
ところで、気になるのはその隣の「携帯電話充電無料サービス」案内…
係りのおねえさんに聞いてみると「奥のロッカーでお預かりして充電をしているのです」と。また「松山観光港の到着10分前までに引き取りをお願いしています」とのこと。
呉から松山までの所要時間(≒充電可能時間)は1時間弱なのですが、これは便利なシステムですね。

ところで、デッキに出てみますと…このロビー様のソファがあるではないですか!
船はすでに動き出していたので、ここを利用させて頂くということにしました。おまけに、ソファの横にコンセントプラグもあったので、先ほどのおねえさんに確認して、持参していた充電器でもって、ここで携帯電話の充電もすることが出来ました。いや、バッテリーが心もとなかったのでよかったです。

ソファに座るとこんな感じでした。
反対側も同じ構造のようですが、右側へ階段が続いています。

こちらは、2階席「スーパーシート」でした。追加料金500円だそうですが、わたしはもうこのソファで十分です(^O^)


定刻15時23分に、松山観光港へ向けて出航。
巨大ドッグに入る、タンカーのすぐそばをそろそろと通って行きます。



出航まもなく、左手にはそのドッグや、山が迫るのどかな街並みがしばらく続きます。波も見る限り穏やかで、静かな船出です。

湾の外へ出て来たようです。凪いでいますね。瀬戸内海ならではでしょうか。


相変わらず、雲が多い空模様です。その中から、穏やかな陽射しが射し込んだり、一気に薄暗くなったり、というのが続きます。

それでは、ここからはスクリーンショット風にご覧頂きたいと思います。







見たことのない、少しく、神秘的な光景のようにも思えます。

呉港を出て20分ほど経ったところでしょうか、少し揺れが強くなって来ました。波が出ているようです。


船の後方を望める窓があったので、ちょっと様子を覗いてみます。
先ほどとは様相が違って、やはり波が出ているのがわかりました。
どこまでも続く引き波が、それと混じり合い、左右に船体を小刻みに揺らしながら進む光景が印象的でした。

天候の変化の慌ただしさは相変わらずなのですが、ここで目を見張る光景を目撃しました。厚い、灰色がかった雲の間から…

雲の合間から陽射しが、まるで木漏れ日のように降りています。
「神々しい」というのは、こういう光景を指すのでしょうか。
真下の島が、それに選ばれた特別な存在のように見えます。
ところで、しばらく広がるこの光景に釘付けになっている間、とある詩を思い出しました。小学生の頃でしょうか、国語の教科書で知ったもので、いまだにとても印象に残っている詩です。ちょっとご覧頂ければと思います。
「虹の足」
吉野 弘(よしの ひろし、1926-2014。山形県出身の詩人)
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直ぐな
陽射しがたくさん地上に刺さり
行くに榛名山が見えたころ
眼下にひろがる田圃の上に
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足をさわろうとする人影は見えない。
――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
村の人々には見えないのだ。
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

もともとは「虹」、それも「虹がかかりはじめている場所(虹の足)の家に住んでいながらも、それを知るべくもない人々と、離れたバスの車中からそれを見つけて、その境地はなんと幸せなことか、と感じる人々」の「感じ方や思いの差異をテーマにした」というべき詩なのですが、
冒頭の「雨があがって/雲の間から/乾麺みたいに真直な/陽射しがたくさん地上に刺さり…」というくだりがとてもインパクトがあって、そういったものは果たしてどんなものなのか?と思ったりしていたのですが、ひょっとしてこれがそうなのかも知れないですね。
そういうと「虹の足」という部分も気になりますが(笑)

「他人には見えて/自分には見えない幸福の中で/格別驚きもせず/幸福に生きていることが――。」
最後のこの一節、大人になったいま、少しその意味がわかったような気さえします。実は幸せというのは、気付きもしない、意識すらしない、ごく普段の生活だったりして…ということなのでしょうか。ちょっと難しいですが(笑)

ついでといっては何なのですが、わたしがブログのタイトルと一言メッセージを拝借している、シンガーソングライター・松阪晶子(まつざか しょうこ)さんの楽曲の一節をも、この光景で思い出しました。
雲の間から降りて来る
一筋の光 そっと
手を伸ばしつかんでね
崩れる時も導いてくれる
あなたは気付かないの?
隠れた天使なのに
羽ばたく翼持ってる
荒波もその翼で
限りない未来へ
飛べるのに
松阪晶子&本多俊之
「瞬間(とき)の奇跡」(1995年4月8日リリース シングルカット)より
(当ブログ【1月の「一言メッセージ」】で使わせて頂いています)
テーマは違えど、この神々しい光景と、そこから感じるものとはなにか?ということを考えさせられるのは、なにかしらどこかで共通している点があるようにも思えます。私事にわたりますが、次女のことが最近あったので、柄にもなく(笑)なにかしら感傷的な気分になったりしているのでしょうか。

ですが、長年敬愛していて、いつもわたしの心の支えになってくれている、晶子さんの方は決してひいき目じゃなかったりします。嫁公認ですよ(笑)

思いっきり余談になりましたが、空がまた気まぐれに変わって来ました。
では、スクリーンショット風の続きをお送りしたいと思います。


出航から40分ほど、眼前に山々が見えて来ました。

いよいよ、これが「四国」のようです。松山までもうまもなくです。

どちらへ向かう船でしょうか。こちらのものとは趣きがちと違います。


手前の岩、いや島でしょうか。特徴的な形です。

しかし、また波がさらに高くなって来ました。
船内が大きく揺れ始め、立つのすらちょっと難しいほどです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。