みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年3月で20周年を迎える、JR東西線開業当時にまつわる話題について、開業直前の写真と、先月訪問して撮影した写真とを見比べながら、その変遷や当時の様子や思い出などについてあれこれと取り上げています。

東西線の東端、京橋駅(きょうばしえき、大阪市都島区)から1駅、やって来たのはこの大阪城北詰駅(おおさかじょうきたづめえき、同)です。

JR、京阪、地下鉄が乗り入れている京橋駅からはわずか0.9km、1分ほどで到着する距離にこの駅はあります。
この駅の手前から東西線は右へ大きくカーブ、京阪や大川(おおかわ)の下をくぐって、国道1号の直下を西へと向かって行きます。

駅名にあるように、この駅は大阪城公園の北側に位置していて、構内の壁面には豊臣秀吉の馬印、千成びょうたんがあしらわれています。
隣の大阪天満宮駅では「梅」(梅で有名な大阪天満宮の神紋から)、北新地駅では「稲穂」(江戸時代、駅周辺の堂島界隈に全国から米の集まる市場があったことから)などと、他の東西線各駅でもこのように当地にまつわるイラストが見られます。

さて、列車が行ってしまいました。同時に、構内は閑散とした雰囲気になります。
この駅は高層ビルが林立する、大阪ビジネスパークへの最寄り駅のひとつなのですが、ぺデストリアンデッキでつながっている京橋駅がそちらへのメインアクセスになっているので、場所的には便利なものの、それに比してはあまり利用されていないようです。

では、改札を抜けて地上へと向かうことにします。

この駅に3箇所ある出入り口の中で、一番東側の1番出口を上がって来ました。
手前から奥へと延びるのは土佐堀通(とさぼりどおり)、先へ進むと御堂筋と交わる、交通量の多い市内でも主要な通りのひとつです。
訪問したのは2月末のある日だったのですが、小春日和の穏やかな一日でした。

そして、この交差点は「片町(かたまち)」と呼ばれています。
前回から取り上げている、20年前のJR東西線開業と同時に廃止となった、これと直通している学研都市線(片町線)の終着駅、片町駅がかつて存在していた場所がまさにここでした。

先ほど下車した、大阪城北詰駅にあった周辺地図より。
1番出口を上がった少し先、緑の点線(地下鉄長堀鶴見緑地線を示している)と東西線が地下で交差している「片町橋」のたもとに、その「片町駅」はありました。
駅は赤い□で示したあたりで、隣の京橋駅からは東西線の北東側に線路が延びており、その間、わずか500mほどの駅間距離でした。

では、さっそくその「片町駅」があった場所へと向かいます。
1番出口からはすぐそこなのですが、20年という歳月、果たしてなにか痕跡が残っているのかどうか…

上の場所から、交差点へ進んだところに片町駅はありました。
撮影した当時にはすでに仮駅となっていたのですが、実にひっそりとしたたたずまいでした。

右側の立体駐車場が目印でしょうか。はっきりと位置関係を確認出来た背景のビル群も、いまでは手前の建物で見えなくなっています。

片町駅駅舎です。仮駅とはいえ、こざっぱりとした感じを受けます。
この駅舎は約6年、使用されていたとのこと。背後にはツインタワー(右側の立体パーキング奥)、読売テレビの本社社屋(左側)などが見えたのですが…

駅跡は現在、駐車場になっていました。
背景もですが、あまりの変わりように、ちょっと驚いてしまいます。

それでは、その片町駅に入ってみたいと思います。

改札まわりの様子ですが、水色の自動改札機が並んでいます。
国鉄時代、関西では最初期に導入されたもので、わたしなどには懐かしいしろものです(同型のものが「京都鉄道博物館」に保存されているようです)。
時計の下には「3月7日 片町駅 記念入場券 発売予定」という案内も見えます。


構内は頭端式(とうたんしき)と呼ばれるもので、改札を入るとすぐにホームへとつながっていました。線路、ホームとも2つありましたが、快速列車用・普通列車用、などといった使い分けは、特にはなされていなかったようです。

これは廃止を控えて設けられたものだったのでしょうか、この駅にまつわる年表も見られました。開業は明治28(1895)年8月、当時の浪速鉄道の手によるもので、以来100余年の歴史を持つ駅でした。

ちょうど普通、快速列車が並んだところでした。
東西線開業記念のヘッドマークを掲出しています。
背景には京橋のランドマーク的存在だった、ダイエー京橋店の看板がここからでも目立っていたことを思い出します。一世代前のこのマークも懐かしいものです。

ところで、この片町駅が廃止になったのち、冒頭の大阪城北詰駅がその代替として設けられたのですが、この歴史ある「片町」という名前は新駅には引き継がれませんでした。
そのあたりを、毎度おなじみ「Wikipedia #大阪城北詰駅」を参考に見てみますと…
当駅はJR東西線の開業に伴って廃止された片町駅の代替駅として、その近隣に設置されたものである。当初の計画では「片町駅」であったが、現駅名へと変更になっている。「地下への移転扱いとなり新線の補助金が得られない」との理由が原因と言われる。
しかし、片町駅の廃止から10年以上が経過したのにもかかわらず、依然として片町という地名に愛着を持っている住民などが多いことから、当駅を「片町」、もしくは「片町」を含む名称に変更する意見がなお存在している。
というくだりがありました。なかなか、さまざまな事情があったようです。


それでは、もう少しこの片町駅を観察してみたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。