みなさんこんにちは。前回からの続きです。

先日、発売された鉄道コレクション「京阪電車1900系特急電車3両セットB」について、勝手な視点であれこれ細見するということをしています。

今回、発売されたBセット、後継の3000系(初代)特急車両が登場する前年の昭和45(1970)年の頃をモデルにしているとのこと。
この形式の全盛期だそうです。

前回は、左側の1905号車と、その出自について取り上げました。
この1905号車ですが、もともとは、昭和31(1956)年から製造が開始された、この1900系の先代の特急専用車両、1800形の一分類である1810型に属していたのですが、その1810型は昭和38(1963)年に1900系に編入されたという経緯がありました。ですので、このように比較すると、同じ形式でありながら、右隣(最初から1900系として新造されたグループ)とはまったく異なる様相であることがわかります。

そういうことで、1900系には編入車グループ(手前)、新造車グループ(奥)の二種類が存在していました。ただし、車両性能については差がないため、運用については分類されることはなく、互いに混結されて幅広く使用されていたようです(一般車への格下げ後も同様)。

それでは、後者の新造車グループに属する、この1918号車を見て行きたいと思います。

全体的に丸みを帯びたデザインで、顔相?はやわらかな印象を受けます。
この新造車グループの大きな特徴は、正面車体裾に設けられた銀色のバンパーです。
自動車を想起するのですが、それとは異なり、飾りの意味合いがあるようです。

登場50周年を記念し、特急車両当時の塗装に復元された1900系。枚方公園にて。このバンパーは、一般車両に格下げされたあと、車体改修や冷房化を経て、平成20(2008)年の廃車まで最後に残った編成でも残されました。

ところで、ここは淀屋橋駅(大阪市中央区)です。
3・4番線のいちばん奥にあたる場所ですが、ここに記念碑が設けられています。

昭和38(1963)年4月に、開業当初からの大阪側のターミナル駅だった天満橋駅(てんまばしえき、同)からこの駅まで、地下線で路線が延伸されたことを記念したものです。

淀屋橋延長線の竣工式典で、1900系を使用した祝賀列車のテープカットを行う当時の村岡四郎社長。
くずはモール内、SANZEN-HIROBAのパネル展示より。
御堂筋に面する、大阪市内中心部の淀屋橋までの延伸は、京阪が開業して以来の悲願だったと言います。社運を賭けた困難な工事の後、延伸開業したのがその昭和38(1963)年4月、それにあわせて新造投入されたのが1900系でした。
そういうことで、京阪の淀屋橋延伸を語る上で、1900系はセットで語られることが多いようです。


「京阪電車新発足20年」(昭和44年12月、京阪電気鉄道株式会社刊)より。
淀屋橋延伸後、このように1900系は京阪のフラッグシップとして位置づけられました。ちょうど、今回発売されたモデルの時代とほぼ同じ頃のものです。黄色に塗られた正面の貫通幌などがそのまま再現されていることがよくわかります。

さて、最後は中間車の1956号車についてです。

2枚設けられた客用扉の間に、小さな窓がずらっと並んでいるのが整然とした感じです。
また、この車両にはテレビが搭載されていたので、朱色でテレビカーの表示があります。京阪特急の大きな特徴だったテレビカーですが、この1900系までは白黒テレビで、次代の3000系(初代)からはカラーテレビに改められました。

さらにその側面窓ですが、車端部に設けられた窓については、設計の関係上他のものと比べて少し小さくなっていることも特徴だったといいます。今回の商品でも、このように再現されていました。これは細かいですね。

ところで、先ほどの「京阪電車新発足20年」の写真をよく見てみますと、淀屋橋駅4番線から出発しようとしている1900系の側面、細い2本の棒が取り付けられています。特急時代、非冷房だった1900系では、側面窓が広く開放出来るようになっていたのですが、地下線内では危険なため、手や身を乗り出せないように、このように保護棒が設けられていました。こちらの再現はなされていませんでした('ω')ノ

登場当時を模した「クラシックタイプ」に復元された旧3000系。この時には8000系に編入され「8000系30番台」となっていた。車番の「3505」は元の車番を復元したもの。樟葉にて。
その後、1900系は昭和46(1971)年から登場した、冷房・カラーテレビを搭載したこちらの3000系(初代)に順次、昭和49(1974)年までに置き換えられました。そういうことで、1900系が特急専用車両として活躍したのは、最長でも1810型からの編入車グループでは18年、新造車グループではわずか11年という短命でした。
以降は通勤型の一般車両に改造され、平成20(2008)年10月に最後の編成が引退するまで(さよなら運転は同年12月)活躍したのですが、特急専用車両としてよりも、その後の通勤型一般車両として活躍した期間の方がずっと長い(最後に残った編成では格下げから34年)という、特異な車歴をたどった形式でした。

くずはモール内、SANZEN-HIROBAで展示されている3505号車。
ずらっと並んだ窓は、1900系から受け継がれたのと同じ様式だった。
特急専用車両として1900系を置き換えた3000系も、登場から20年ほどで次代の特急専用車両8000系に次々に代替され、最後に残った編成は8000系の一形式(30番台)として編入された経歴があります。
この流れを見ますと、1810型が1900系に編入されたということと、最後に1編成が残った3000系も8000系に編入されたという経緯のみならず、1900系が3000系に、3000系が8000系にと、経年が浅く、若くして後継の特急専用車両にその座を譲ったということは、期せずしてまさに歴史が繰り返されたというように感じられます。
この流れを見ますと、1810型が1900系に編入されたということと、最後に1編成が残った3000系も8000系に編入されたという経緯のみならず、1900系が3000系に、3000系が8000系にと、経年が浅く、若くして後継の特急専用車両にその座を譲ったということは、期せずしてまさに歴史が繰り返されたというように感じられます。
少し話がそれましたが、実に興味深い今回の1900系特急車両の発売でした。
個人的な希望としては、一般車両に改造されたあと、緑の濃淡となったタイプも見てみたいと思いました。
トミーテック様、次もよろしくお願いいたします(笑)
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。