
先日、人気鉄道模型シリーズの「鉄道コレクション 京阪電車2600系セット」(トミーテック)が先行発売されました。
発売を楽しみにしていた商品で、先日、16日に京阪電車の寝屋川車両基地(大阪府寝屋川市)で開催された「ファミリーレールフェア」でさっそく入手して来ました。この模型を細見してみようかというところなのですが、その前にこの「2600系」という形式について取り上げてみたいと思います。よろしければおつきあいください。

こちらが「2600系」です。
京阪線の全車両が「新塗装」となった現在では懐かしく感じられる「緑濃紺塗装」の姿ですが、以下しばらくは、その「旧塗装」と「新塗装」が入り混じった姿が沿線で見られた頃の様子を実際の車両を見ながら項を進めて参りたいと思います。平成20(2008)年10月、西三荘にて。

「区間急行」で天満橋へ向かう5両編成。野江にて。

「2600系」は、昭和53(1978)年に登場した京阪電車の通勤型車両です。
「卵型」と呼ばれる丸みを帯びた車体が特徴的で、京阪電車の通勤車両のイメージをかたちづくったと評される一形式として知られています。京橋~野江間にて。

ところで、こちらは「2000系」という同じく京阪の通勤の一形式です。
(出典「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション25 京阪電気鉄道」
鉄道ピクトリアル4月号別冊 電気車研究会 平成25年4月発行 P37)
昭和34(1959)年、当時存在していた戦前製の旧型車両の置き換えと、沿線の急激な開発にともなう乗客の増加に対応することを目的に製造された形式でした。ただ当時の京阪では、さまざまな理由で最大で7両しか列車編成を組めなかったことなどが輸送のネックとなっており、そういったことから、さらなる輸送力増強を図るといった理由で、京阪線の架線電圧を「直流600V」から「直流1500V」へと昇圧することとなりました。昭和58(1983)年12月のことです。
昇圧に当たり、車両機器などがそれに対応することが難しかったこの系列を昇圧後も継続して使用するために、自社の寝屋川工場で昇圧に対応出来るよう改造(書類上は「新造」)して登場したのが、その「2600系」です。
現在ではやや前近代的ともいえる特徴的なスタイル、殊に「正面の二段窓」、「ガイコツ形」とも表される正面下部の「クラシックな形状の標識灯」などに見られるように、この「2600系」はかつて、昭和30年代以降の京阪通勤車両の主力であった「2000系」の面影を多分に残しているということで、平成に入った現在、趣味者(わたしもですが)からは俄然注目されているようです。


ところでこちらも同じ「2600系」なのですが、先ほどの「正面の二段窓顔」の車両とは少し様相が異なります。窓が少し小さいサイズ、また車掌台側(正面向かって左側)の窓が固定式になっているというところでしょうか。寝屋川市にて。

同じ形式ではあるのですが、正面の顔相が異なることでだいぶ印象が異なります。「二段窓」の車両がどちらかというとやわらかい印象なのに対し、こちらは少しいかめしい感じを受けます。中書島にて。

また、こちらも同じ「2600系」です。
先ほどの2種とはこれまた趣きが異なるのですが、こちらは「2000系」を由来としたものではなく、昭和55~56(1980~81)年にかけて製造された「完全な新造車両の2600系」です。守口市にて。

この「完全新造グループ」は先ほどの車両群と分類するために、車両番号も別のパターンで命名されていて、下二けたが「30」ではじまる数字になっていることから「2600系30番台」と呼称されていることが外見とあわせての特徴です。関目にて。

京都方先頭車のサイドビュー。八幡市にて。

「中之島線開業」にあわせて登場した「3000系」と並ぶ。寝屋川市にて。
ところで、ここまで取り上げて来たのは、平成20(2008)年10月の「中之島線開業」前後の様子です。この当時は、その新線開業と時を同じくして車両塗装の塗り替えが進められていた時期でした。

わたしなどは幼少の頃から長年親しんで来た「緑濃紺の塗装」でしたが、この形式のみならず、徐々に新塗装の車両が増えて来たことに「変化」を感じました。ただ、一方ではこれまでなじんで来た光景が徐々に見られなくなって来たということを実感するようになり、少しく複雑な気分になったことを記憶しています。守口市~西三荘にて。

新塗装、旧塗装が並んだ姿。
このような光景は、老朽化で廃車予定となっていた車両を除いた全車両の新塗装化(平成23年)まで見ることが出来ました。

また、全編成の塗装変更に3年ほどを要したため、一時期にはこのような編成も存在していました。「旧塗装・新塗装の混色編成」です。

この編成の場合、京都方の2両が「旧塗装」なのですが…

大阪方の残り5両(左側)は「新塗装」となっていました。

「新塗装」の方は台車もグレーに塗り替えられていまして、その差異が大変際立っていました。

大阪方の先頭車。まだ、この時期には「新塗装」の編成にあまり遭遇する機会がなかったことと、「これで新しい区切りの時期になっていくのだな」と感じた記憶があります。以上、西三荘にて。

これは、「2600系」の別の混色編成を捉えたものです。
「運転台同士が連結されている」という、趣味的になかなか興味をそそられる光景でした。守口市にて。
それでは、この「2600系」にまつわる話をさらに実車を見ながら、もう少し掘り下げて取り上げて参りたいと思います。
次回に続きます。
今日はこんなところです。