近鉄けいはんな線 開業30周年を迎えて~その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
近鉄東大阪線として開業30周年を迎えた、大阪と奈良を結ぶ近鉄けいはんな線について、起点の長田駅(ながたえき、大阪府東大阪市)から実際に列車に乗車、沿線の様子をあれこれ見ながら取り上げています。

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さて、長田駅から2つ目、到着したのは吉田駅(よしたえき、同)です。
「よしだ」ではなく「よした」、と濁らないのが特徴でもあります。

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「緑の濃淡」をモチーフにしているのがけいはんな線に関するサイン類のイメージです。京阪電車の新塗装のようにも思えます(笑)
駅名標と時刻表が一体化され、低い位置に設置されているというデザインは、近鉄のみならず最近は全国的にみられるものです。そう考えますと、「ホーム屋根にぶらさげられている時刻表を仰ぎ見る」ということはあまりなくなったようにも思えます。

また、「中甚兵衛の碑前」という副駅名が付けられているのですが、この中甚兵衛(なか・じんべえ、1639-1730)という人物は、この吉田近くに住んでいた庄屋さんだったそうです。江戸初期、天井川(てんじょうがわ、川床が周辺の土地より高くなっている河川)ゆえ、このあたり一帯で氾濫が頻繁に起こっていた「大和川(やまとがわ)」の付け替え工事や灌漑事業に当たった人物として知られているそうです。

現在の大和川というと、ここから20km以上も南を流れている河川なので、当時とかなり地勢が異なっていたことが伺えます。

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駅構内の様子。頭上に阪神高速13号東大阪線が通っており、独特の情景です。
ただ、それを抜きにしても何かしら頭上がすっきりしているような感じも受けます。

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その理由はこれでした。
線路の横、少し高い位置にもう一本敷かれているレールです。

これは「第三軌条(サードレール)」と言いまして、ここには電車へ電力を供給するための電気が流れています。
一般的な鉄道であれば、線路上に架線が設けられていて、集電装置(パンタグラフ)を通して給電を行うのですが、パンタグラフを使うのではなく、なぜこのような方式になっているかというと…

電車が走行中にパンタグラフから集電する際には架線が揺れる
架線の動きに遊びを持たせるために、線路上には余裕のスペースを持たせる必要がある
地下を走る鉄道の場合、建設費を抑制するためにトンネル断面を出来るだけ小さくする必要がある(線路上にスペースを捻出することが難しい)
架線を設けず、線路脇に第三軌条を設け架線集電の代替方法としている

といったところでしょうか。

この路線は「地下鉄」ではなく「近鉄」なのですが、もともと開業していた大阪市地下鉄と相互乗り入れする関係上、地下鉄仕様である第三軌条の集電方式に合わせたためです。

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各駅には、このような注意書きがたくさんありました。

通常、頭上のかなり高い位置に設けられている架線の代わりに、線路とほぼ同じレベルで高圧電流(直流750V)が流れる第三軌条が設けられているという関係で、感電の危険性が高くなってしまう、という別の問題があるようです。

ただ、地下鉄でも郊外を走る一般鉄道と乗り入れをしている路線の場合など、通常のパンタグラフを用いた車両が地下鉄に乗り入れているケースも多く見られます。
そういった場合、先ほど触れたような「トンネル断面を大きく取れない」という事情があり、一般的な「振り幅を大きく取れる架線」を使用することが技術的に難しいため、通常の架線より太いサイズの鋼線を天井に固定し、パンタグラフへ給電するという「鋼体架線(こうたいかせん)」を用いるケースが多いようです。

「集電器(パンタグラフ)が架線から離れる」ということは大事故につながる危険性が高いため、天井に固定されているという鋼体架線を用いている地下線内では「架線のしなりに対する遊び」がないため高速走行が出来ず、大きな速度制限がなされている、という訳です。余談でした。

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続いては次の「新石切駅」へと向かいます。

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吉田駅を出たのちもしばらくは頭上には阪神高速の高架が続くのですが、しばらくしますと、このようにすっきりと景色が開けて来るのが分かります。

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頭上の阪神高速13号東大阪線はこのすぐ先にある「水走(みずはい)ランプ」で終点なので、道路が地上へと降りていくためでした。ただ、この先には「第二阪奈道路」という有料道路が続いていまして、やはりこの生駒山をトンネルで抜け、生駒、奈良市内へと至っています。

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高架道路が見えなくなり、景色が一変しました。代わりに、この東大阪線がこれまでの阪神高速の高さまで上がり、結構な高さレベルになります。

目の前は「恩智川(おんちがわ)橋梁」、長さ65mの鉄橋です。

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正面に生駒山の山肌がはっきり見えて来まして、頂上にはたくさんのアンテナ塔が林立しているのも視認出来ます。ここが「新石切駅(しんいしきりえき、同)」です。

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この駅周辺はもう「山麓」と呼んでも差し支えないような高さではあるのですが、このさらに上部には同じ近鉄の「奈良線」が走っていまして、同様にトンネルで奈良へと抜けています。地図では標高差がわかりにくいので申し訳です(汗)

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その「新石切駅」を発車。ワンマン運転を行っている区間なので、確認用ミラーが設けられているのが印象的です。

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ほどなくしますと、いよいよ生駒山を貫く「生駒トンネル」に入って行きます。
「山に抱かれるような感じ」がします。

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その「生駒トンネル」の中間部で、大阪府から奈良県へと入ります。
「生駒山」というのは大阪平野の東端にある山なのですが、大阪市内からでもはっきりと視認が出来ます。方向がわからなくなった時、「(生駒)山がある方が東や!」というくらい、大阪平野に住む人間にはなじみのある山です(おらが街・東大阪の小学校の校歌には、ほぼすべてに「生駒山」の情景が歌われているほどです)。

小さい頃から、わたし自身もこの「生駒山」を毎日見て育って来ました。
自宅からでももちろん見られますし、少し離れた距離からでも「わりと大きい山やなぁ」といつも思っていた山ではあるものの、このように仰ぎ見るような距離で見ますと印象がまた異なり、迫力があるものなのだなと改めて感じさせられます。

身近な存在ではあるものの、それゆえさまざまに考えさせられますね(笑)

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感慨にふけっている間に生駒トンネルを抜けました。もうここは「奈良県」です。目の前には「生駒駅」が見えて来ました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。