JR北海道 全線完乗への道!その24 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
十勝平野の西端、「新得駅(しんとくえき、十勝管内新得町)」に長居しています。

イメージ 1

さて、折り返し乗車する根室本線の「滝川ゆき」(空知管内滝川市)が入って来ました。ここまで乗車して来たのと同様、一両編成のディーゼルカーです。

イメージ 2

ホームへは跨線橋で移動します。構内には、かつて機関区が設けられていた名残でしょうか、側線が幾本もあり列車が留め置かれています。

「さまざまな車両があるのだな」と思っていますと…
奥に「朱色のキハ40」が停車しているではないですか!

イメージ 24

というのも先ほど、朝9時前に「富良野駅」(上川管内富良野市)で途中下車した時のことですが…

イメージ 25

「JR北海道」で使用されている「キハ40形ディーゼルカー」は、この「北海道独自のカラーリング」が施されているものがほとんどなのですが、一両だけが昭和50年代の旧・国鉄当時に登場した際の「朱色」に施されたものがあり、さらに、これを見ると「いいことがあるかも…」と、なんとも思わせぶりな文句が謳われていたものです。

「富良野駅」で見かけたこの掲示についてはこちらもどうぞ↓
当ブログ
「JR北海道 全線完乗への道!その19」(2016年6月17日アップ)

イメージ 4

「何が特別?」などと期待しながら、観察してみるのですが…

イメージ 5

向かって左側、助手席側の窓下に記されている番号、これがなんと「トリプルセブン」でした!

イメージ 3

跨線橋にいったん戻って、しつこいながら確認のため反対側も見てみます。

この「777」という数字は、車両それぞれに付けられている固有の番号でして、同じ形式、同じ外観の車両(この場合は「キハ40形」)を一目で識別するために表記されているものです。

イメージ 6

その反対側に停車していた車両ですが、こちらも同じ「キハ40形」、「1774」という表記があるので、これは「キハ40形の1774号車」です。
なので、先ほどのものは「キハ40形の777号車」ということになります。

しかし、縁起のよい番号にあわせて「朱色」にしたのでしょうか。
「いいことがあるかも」という触れ込み?でしたが、個人的にはその理由がわかりすっきりしたことがいいことだなと感じました(笑)

イメージ 7

いや、しかしすっきりしました。それよりも、貴重な朱色に遭遇出来たこと自体を喜びなさい!と言われそうですが(笑)

イメージ 8

ここから乗車するのは「滝川ゆき」です。帯広からやって来た列車ですが、旅行客と思しきグループが多数乗り込んでいて大変賑やかでした。

イメージ 9

この車両には、ごく日常的に見られる「方向幕」(終着駅で行先などを表示した幕を自動的に回し掲出するもの)は設けられておらず、この「サボ」と呼ばれる差し替え式の「方向板」が使用されていました。

「方向幕」のみならず、最近では「LED」や「LCD」を用いたものが主流になっている現在、全国的にもほとんど見られなくなった貴重なものです。

イメージ 10

さまざまな発見があった「新得駅」を出発します。だいぶ長居してしまいました。

イメージ 11

十勝平野に別れを告げ、再び上川管内へ舞い戻ります。
「狩勝峠」を再度、反対側から上下したわけですが、同じ路線とはいえ行きとはまた異なる情景が広がりまして車窓の愉しみは尽きませんでした。

イメージ 12

かつて、石灰石を輸送するために広大な側線が広がっていた「東鹿追駅(ひがししかおいえき、上川管内南富良野町)」です。この駅だけではないのですが、もう使用されていない側線や建物などを目にするにつけ、感傷的な気持ちにさえなります。

イメージ 13

「島ノ下駅(しまのしたえき、上川管内富良野市)」に到着。

イメージ 14

この「名所案内」、実際に活用されているようには思えないのですが(失礼!)、あえて撤去したり、あたらしいものに取り換えることなく、このように残存しているということに「深い味わい」を感じます。
表記にある「紅葉の名所」、一度赴いてみたい、と思わされます。

「富良野駅」からは再び未乗区間。ほどなく「上川管内」から「空知管内(そらちかんない)」となり、さらに北方向へと進みます。

イメージ 15

「芦別駅(あしべつえき、空知管内芦別市)」に到着。広い構内です。

イメージ 16

沿線では、先ほどの「東鹿追駅」や「島ノ下駅」のように「過去の栄光」を語る遺物を数多く確認することが出来たのですが、この広い構内の「芦別駅」も例に漏れずで、かつては「三井芦別鉄道」というローカル私鉄が乗り入れていたとのこと。

イメージ 17

「芦別駅」の周辺には、かつては「空知炭田」という「一大炭鉱地帯」が広がっていまして、この「根室本線」から枝線のように、その「三井芦別鉄道」の他にも小私鉄が分岐していたそうです。

ただ、高度経済成長期以降の「エネルギー政策の大転換」により炭鉱は次々に閉山し、石炭輸送に特化していたそれら鉄道は運命をともにして姿を消して行きました(道内でもこの空知管内にはこのような例があまたあります)。

イメージ 18

イメージ 19

ほどなく、終着の「滝川駅(たきかわえき、空知管内滝川市)」に到着しました。
「新得」からは3時間弱、長い道のりでしたがまったく退屈しませんでした。

イメージ 20

乗車して来た「キハ40形」は、折り返し「富良野ゆき」になります。
気づけばさっさと「サボ」が差し替えられていました。

イメージ 21

しかし、絵になります。板のデザインや素材がまだあたらしいもののようなので、まだまだ現役で使用される姿が見られそうですね。
アナログそのものですが、それゆえにちょっとうれしくもなります。

イメージ 22

さて、この「滝川駅」の構内も実に広いものでした。
現在、直通列車の設定はないのですが、ここで「函館本線」と合流しており、札幌から道東方面への短絡線である「石勝線」の開業までは、主要な特急・急行列車がこの駅を経由していました。
現在は普通列車のみの運転となっていて、そのような面影は感じられません。

イメージ 23

次回に続きます。
今日はこんなところです。