平成25(2013)年3月に勇退した「最後のテレビカー」こと「京阪電車旧3000系特急車」、最後の活躍を回顧する、ということをしています。

前年の夏に引退が発表されたのち、「クラシックタイプ」と称して、昭和46(1971)年に登場した頃の外観に出来るだけ近づける装飾が施された「旧3000系」。樟葉にて。
個人的には幼少の頃、この姿の「旧3000系」にある意味「憧憬」のようなものを抱いていたので、それに再開することが出来て大変印象深かったことを覚えています。

そしてついに迎えた「引退」。
往年の「京阪間ノンストップ特急」を再現した「臨時快速特急」として、ここ「中之島駅(なかのしまえき、大阪市北区)」から「出町柳駅(でまちやなぎえき、京都市左京区)」までの間で、数日にわたり「引退記念列車」が運転されました。
わたしが乗車したのは「平成25(2013)年3月23日」のことでした。

「快速特急 出町柳」の方向幕。

座席ごとに設けられた窓。古いデザインのように思えますが特徴的なものです。


人気の「テレビカー」の側面には朱色の切り抜き文字が施されています。
実はこれも、登場当時のデザインを再現したものでした。

「クラシックタイプ」に復元される前の「テレビカー」切り文字です。
後継の「8000系特急車」のそれに合わせ銀色になっていたのですが、長年見慣れていたのはやはり先ほどの「朱色文字」でしたので、うれしい「再現」でした。

正面に回ってみます。多くのギャラリーでごったがえしていたのですが、思い出深い「旧3000系」ということで、なんとか一枚収めることが出来ました。
運転台中央にはカメラが据え付けられていますが、これは後日、引退記念商品のひとつとして「さよなら運転の全面展望」と銘打ってDVD化、一般発売されました。

車内はこんな感じ。わたしと同じく、乗り鉄・撮り鉄さんが多く見られました。
このあと、この「テレビカー」にまつわるさまざまな思い出に浸りながら「最後の旧3000系」を満喫して来た次第です。

下車したのは「三条駅(さんじょうえき、京都市東山区)」。
ホームに陣取る多くのギャラリーを見るにつけ、大変なイベントだったのだなと感じます。これがわたしにとって「現役の旧3000系」を目にした最後でした。

そして現在の姿です。
「全車引退」からほどなく、当時増床工事中だったここ「くずはモール」に引退した「旧3000系」のうち「8531号車(引退当時には8000系30番台という形式を名乗っていた。3000系時代には3505号車)」が搬入されるとともに、「クラシックタイプ」の時以上に製造当初の姿に徹底して復元が行われたのち、ここ「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」の主となりました。

平成に入るまで使用されていた、独特のフォントの「特急」表示。
小さい頃、これを見るにつけ「行先表示がない=特別な列車」という図式が頭の中に浮かぶほどでした。

車内もやはり製造当初の「白い枕カバー・茶色柄のシート」に復元されるなど、当時を知っているものとしては「懐かしい」のひとことでした。
ところで、この「旧3000系」が鎮座するこの「SANZEN-HIROBA」の名称ですが、「3000系が主である」というのと、「燦然」ということから来ているそうです。
長年、「京阪の看板列車」として活躍して来た「旧3000系」ですが、会社がここまで大切に保存しているという事実に鑑みてみますと、「旧3000系に対する想いの深さ」ということを改めて強く感じた次第です。本当に愛された車両だったのだと思います。
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。