みなさんこんにちは。今日の話題です。
先ほど、帰宅しますと「NHK総合」で関西のローカルニュースが始まるところでした。

今日は、「東日本大震災」から5年。
関西でも、追悼行事があちこちで行われたようです。

「平成7(1995)年1月17日」、「阪神・淡路大震災」で大きな被害を受けた神戸でも、追悼式典が行われた、というニュースがトップでした。

「3・11」が近づくに連れ、関西でもその報道が多くなされるようになりました。
あの日、テレビ画面で次々に流れる、津波が街を容赦なく飲み込んでいく光景。
それから数日経過し、行方不明の方々を捜索する報道。
そして、震災から年単位で年月が経過したのにも関わらず、住み慣れた故郷を離れて暮らさざるを得ない方々…
今日、「震災から5年」という年月に達した訳ですが、被災者の方々にとっては「喪われたもの」というものは実に計り知れない、到底言葉では表現することなど出来ないものではないのかと、いまさらながら痛感します。

被災者の方々にとって「元通りの生活を取り戻す」ということはありえないことなのかも知れません。ましてや、被災者でもないわたしが述べる資格などないのでしょうが、この5年間、震災に関するさまざまな報道などに触れるにつれ、そういった「平穏な生活というものがいかに大切なものなのか」、ということを折に触れて感じさせられます。
この震災で尊い生命を奪われた方々に対し、改めて深く哀悼の意を表するとともに、被災された方々に対して、深甚よりお見舞い申し上げる次第です。
今日はこんなところです。