SANZEN-HIROBAを訪ねて その57 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
京阪電車の「鉄道資料展示施設」「SANZEN-HIROBA」(大阪府枚方市)で開催されていた、「叡山電車(えいざんでんしゃ)開業からのあゆみ展」を拝見しています。

今日は「パネル写真展示」を見ていきたいと思います。

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かつての「叡山電車」、そしてその前身だった「京福電車」の塗装は「ベージュと濃い緑色」で、「沿線の色濃い緑」をイメージしたもののようにも思えます。

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さまざまな時代のものがありそうですが・・・
その中から、ピックアップしてみたいと思います。

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「デナ509号車」。撮影年代は「不明」とありますが「昭和40年代後半~50年代前半」のものではないかと思われます(「デナ」というのは会社独自の「車両記号」です)。
当時は、基本的に「1両編成」での運転がなされていた頃で、趣味的に目が行くのは先頭車両のヘッドライト上部付近に「長細い棒」があることでしょうか。

これは「トロリーポール」と言いまして、「架線から電気を取り入れる集電装置」としての役割がありました。
明治期に「電気鉄道」が開発され、その当時から使用されている「原始的な集電方法」なのですが、「構造が簡単である」という長所に対し、「架線から離脱しやすい離線といいます)」や「高速走行に対応出来ない」といった欠点があり、「昭和53(1978)年」にこの「叡山本線・鞍馬線」を最後に、「観光用鉄道」を除いて日本の鉄道からはすべて姿を消しました。

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こちらは、戦後間もない時期のものですね。
始発駅の「出町柳駅」のひとつ隣、「元田中駅(もとたなかえき、京都市左京区)」では「京都市電」と平面交差しており、昭和30年代前半まで「京都市電」が「叡山電車」に乗り入れしていました。

叡山電車沿線の「宝ヶ池駅(たからがいけえき、同)」近くに「競輪場」があり、観客の輸送に用いられたようです。

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こちらは、先ほども触れました「出町柳駅(でまちやなぎえき、同)」です。
「戦前の写真」とのことですが…

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こちらが現在の「出町柳駅」、同じアングルからの画像です。
先ほどの「鉄骨組みの駅舎」は、その前に屋根が設けられたものの、現在もそのままの形状で残存しています。

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続いてはこちらです。

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集電装置が「トロリーポール」と「パンタグラフ」のものがあります。

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沿線は、平成に入ってから開発が急速に進んだのですが、現在でも市街地から離れるにつれて、緑濃い山々が残っています。

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次はこちらの「ショーケース」展示を見てみます。

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こちらは「八瀬比叡山口駅(やせひえいざんぐちえき、同)」です。
この頃は京福直営の「八瀬遊園」が駅近くにあり、プールが人気を博していました。

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同じく「八瀬遊園駅」の様子です。「撮影時期不明」とのことですが、停車している電車は一枚上、右側に停車しているものと同型のようです。
正面窓のゆるいカーブが優美な感じです。

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さてそんな中、気になる写真と記述を見つけました。
「阪神より移籍したころのデナ503」とあります。

「ここは京都やし、それも京阪電鉄の関連会社なんやけど…」と思ったのですが、この「叡山電車」の前身である「京福電車」の車両は、阪神電車系列の「武庫川車両(むこがわしゃりょう、現在の阪神車両メンテナンスの一部)」が一手に製造を担っていて、車内の意匠も「阪神電車」を思わせる雰囲気がありました。
「車両の譲渡」というのは、そのつながりがあったゆえだったのでしょうか。

次回に続きます。

今日はこんなところです。