みなさんこんにちは。
「JR東日本 全線完乗」を目指す旅、「上田駅(うえだえき、長野県上田市)」にやって来ました。

「北陸新幹線」から下車したのですが、次の列車まで少々、待ち時間があるので駅前を散策することにしました。

ロータリーの右側にあった広場ですが…

ご当地「上田」で有名な「真田幸村公」の立派な銅像が建立されていました。
これは迫力がありますね。兜のツノがシカのようでカッコいい。

「真田幸村」と言えば、この「六文銭」の旗印が有名ですね。
また、この時代としては斬新だったのでしょうか、朱色(エンジ色?)の意匠も目に彩やかです。
ではここで、前回の「完乗への道」シリーズでもお世話になった書籍、「各駅停車全国歴史散歩」からこの「上田」について取り上げてみたいと思います。
東信地方の中心都市 上田
真田十勇士を生んだ上田城の攻防
上田は千曲川の中流、上田盆地の中心都市である。江戸時代を通じて五万石の城下町であったが、明治の廃藩置県時は人口三○○○人前後しかなかった。
上田を語る時まず浮かぶのは上田城であり、真田三代である。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道などの真田十勇士は、立川文庫や講談から生まれた話だが、真田氏の活躍は上田城をめぐる歴史にいくたのロマンをかもしだしている。
その上田城は、天正一一年(一五八三)真田幸村の父昌幸が築いたものである。真田氏は東信の名門、海野氏の支族で、一四世紀末葉、上田市の東北、神川(かんかわ)流域を本拠として真田に松尾城を構えていた。(中略)
信州を支配していた武田氏が亡び、信長から秀吉への混乱期、越後の上杉氏、東海の徳川氏、関東の北条氏などはみな信濃支配への秘策をねった。真田昌幸は家康に属して上杉・北条氏の佐久進出をはばんでいた。家康は北条氏と和解した時、昌幸に小県一郡を与えたが、その見返りとして吾妻、利根三郡を北条氏にゆずった。
この処置に昌幸はふんまんやるかたない思いであった。父祖以来かちとった二郡を失ったばかりか、期待していた佐久郡も手中に収めることができず、小県一郡しかもらえなかったからである。この時から昌幸はひそかに秀吉に通じ、徳川・北条氏を仮想敵として上田盆地に進出し、堅固な上田城築城に着手した。
中世的な城
上田駅を長野方面に出るとすぐ右手の段丘崖上に上田城跡がみえる。昌幸築城の地である。当時、段丘崖下には尼ケ淵とよぶ深淵のあった要害の地である。かつての豪族居館の跡であるが、昌幸はその東方に城を築いた。本丸、二の丸、三の丸、さらにそれをめぐる外郭を設け、すべて水濠で固めた。(中略)
天下の名城
関ヶ原の合戦に昌幸、幸村親子は西軍に味方し、秀忠三万の軍を上田城に釘づけにし、秀忠を合戦に遅参させた故事はよく知られている。西軍が大敗し、家康が天下をとると、昌幸、幸村は上田城を追われ、高野山に配流の身となった。昌幸はここで多難な生涯を閉じた。
上田城は廃城となり、本丸から三の丸の堀は埋められ、荒れるにまかせた。(後略)
(「各駅停車全国歴史散歩21 長野県」
市川 健夫・小林 寛義編 河出書房新社刊 昭和54年4月初版 絶版/P36-37)
さて、わたしのブログでは「お酒」に関することはあまり取り上げたことがないように思うのですが、「旅の楽しみ」と言えば「地酒」ということがこの年になってようやくわかってきました(笑)
特に、ここ信州では古くから酒造りが盛んなようで(「おいしいコメと水がある」ということでしょうか)、各地で「魅力的な地酒」を目にすることが多かったように感じます。

こちらの駅構内の売店で、気になる「地酒」を見つけたので買ってみました。

それがこちら、「信州銘醸 名峰喜久蔵」という地酒です。

こう言った際にはいわゆる「ジャケ買い」をすることが多いのですが、今回はこの「美しい山々」がデザインされたパッケージに惹かれました。
実は「お酒の味」についてはよくわからないのですが(笑)、「旅先で一献するもの」というのは、「どれも大変おいしかった」といういい記憶ばかりです。
こちらもそれに違わず、きりっとした味でおいしく頂きました。
身体がぽっかぽかしました。初夏でしたが(笑)

今の時期に温めて献したら、よりおいしいでしょうか。
しかし、初夏の旅だったこの時は、やはり「冷酒」が良かったです( ̄▽ ̄)

ほろ酔いの良い気分になったところで、次の列車の時間が近づきました。
少し急いで駅に戻ります。

次回に続きます。
今日はこんなところです。