みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「川越駅(埼玉県川越市)」を後に、初夏のような陽射しの中「高麗川駅(こまがわえき、同日高市)」へ折り返しています。

田畑が多いのですが、その間に新しい住宅街が広がる、という風景が続きます。

日曜日ならでは、と言う光景。川辺のグラウンドではサッカーまっさかりです。車窓からこういった風景を見かけると、ほっとします。

この川は「入間川(いるまがわ)」、奥に見える鉄橋は「西武鉄道」の線路です。
そして、先ほどの「高麗川駅」から「八高線」へ戻り南下して行きます。


到着したのは「拝島駅(はいじまえき、東京都昭島市)」。
旅も、ついに東京都に入りました。
この先、路線は「八王子駅」(東京都八王子市)へと続きますが、以前に「拝島~八王子間」は乗車したことがあるので「八高線」とはここでお別れです。

構内には「西武鉄道」の駅も同居していて、青いラインが入った列車がホームから出て行くところでした。

さて、この「拝島駅」の「川越線ホーム」には、ちょっと真新しい設備がありました。


「上下に可動するホーム柵」です。

上からみたところです。
最近、「ホームドア」というものがあちこちで普及しているのを目にします。
これは「列車が到着した際のみ列車扉付近のドアが開く」というもので、ホームからの転落事故防止に高い効果があるものですが、よく見かけるのは「左右に稼動するタイプのもの」。
それに対して、こちらは「上下に可動するタイプ」。この例は、はじめて見ました。

この「上下可動タイプ」の柵、今年3月に導入されたばかりだとのこと。
個人的には、従来の「ホームドア」導入の際に問題になる「車両の扉数の違い」(それによってホームドアを設置する箇所が異なって来る)という点も、このように「幅が広い」ことで、扉数の異なる車両でも対応が容易に感じます。
では、この「拝島駅」については・・・
「各駅停車全国歴史散歩13 東京都・下巻」
(伊佐九三四郎・檀上完爾共著 河出書房新社編 昭和57年12月初版 絶版)
から拾ってみます。
青梅・五日市線の心臓部 拝島
扇のかなめの駅
青梅線の起点は立川になっているが、それはあくまで始発駅ということで、扇のかなめ的役割の駅といえば、拝島ということになるだろう。八王子と高崎を結ぶ八高線とここで交差しているし、五日市線と西武拝島線はここを起点としている。乗降客は一日に約四万八○○○人、各線相互の乗り換え客を含めると約六万二○○○人をかぞえる。(後略)
江戸時代から村の要衝
江戸時代から拝島宿としてにぎわった旧宿場は、駅から二キロメートルほど南下した奥多摩街道沿いにある。明治になって青梅鉄道(※注釈:現在のJR青梅線)が敷設され、鉄道沿線に村の中心部もしだいに移っていったが、それまでの村の要衝は多摩川に近いこの街道沿いにあった。
市教育委員会発行の『路傍の文化財』に次のように紹介されている。
「弘化三年(一八四六)の記録によると、家数百五十軒のうち宿屋が六軒あり、そのほか居酒屋、質屋、荒物屋、菓子屋、かじ屋、銭湯といった商店街が五十六軒も建ち並んでいたことが知られる…」
八王子に駐屯していた千人同心(※注釈:せんにんどうしん。戦国時代末期、近隣の八王子城が攻められた際、防衛のため戦闘に参加していた半農半士=はんのうはんし。”郷士(ごうし、きょうし)”とも呼ばれ、普段は農作業に従事し、有事の際には武士として戦闘に参加する人々=の集まり。のちに関ヶ原の合戦や日光東照宮の火番、あるいは蝦夷地=北海道調査の第一陣に命じられたりし、現在もその子孫がこの地に多く在住しているという。)が日光勤番に往復したのもこの街道で、江戸時代のはじめにはすでに宿場として形成していて、その後、幕末に至るまで人馬の継ぎ立てを行なっていた。
現在の家並みからは、宿場の面影はまったくといっていいほど見られないが、旧家の大きな門構えや、道筋に残る用水路などから、かつての姿がおぼろげながら想像できなくもない。ここからさらに南へ向かうと拝島橋(※注釈:はいじまばし。多摩川に架かる橋)となるが、上流一○○メートルほどのところには、日光街道の「拝島の渡し」があった。江戸時代から続いたこの渡しは、昭和一○年から五、六年間は、八王子―川越間を運行していた定期バスを乗せて対岸まで運んだというから、さしずめ、いまでいうフェリーボートの役目を果たしていたというわけだ。昭和三○年に拝島橋がかかったのを機に、この拝島の渡しも廃止になったという。
(出典同 P50-51)

現在、交通の要衝となっていることを考えると、やはりというか、江戸期から街道筋の宿場街として繁華なところだったようですね。
「多摩川」も近く、水運も発展していたということもその繁栄の要素だったのでしょうか。


さて、冒頭にも触れましたが、構内には「西武鉄道拝島線」も乗り入れています。
ただ、改札口周辺は閑散としていました。

次回に続きます。
今日はこんなところです。