JR東日本 全線完乗への道!その36 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。
まだ「高崎駅(たかさきえき、群馬県高崎市)」の探索を続けています。

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急ぐ旅ではありませんので、いったん改札を出てみることにしました。

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線路をまたぐように設置されている「中央改札付近」には、このような気になる掲出がありました。
「富岡製糸場(とみおかせいしじょう)」、どこかで聞いたことのある名前ですが…

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その「富岡製糸場」へは、この「高崎駅」に乗り入れている「上信電鉄(じょうしんでんてつ)」に乗り換えが便利なようです。

ちょっと様子をみてみたいと思うのですが、右端に何か見えますね(^^)v

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引いてみますと、堂々と、この「だるま」が鎮座していました。

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「幸福のだるま」…しかし、とても大きいものです。

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通路を挟んだ反対側にも「だるま」が鎮座しています。
こちらは「定番」の「朱色」が施されていますね。

目に墨が入っていないので、よく見慣れているそれと印象が違うように感じます。

さて、当地では、全国的に「高崎=だるま」というイメージがあるかと思います。
郊外に「黄檗宗 少林山達磨寺(おうばくしゅう しょうりんざんだるまじ)」と言うお寺があるのですが、それに由来するものです。

ただ、明治14(1881)年に寺院が焼失し、古くから保管されていた古文書なども消失、散逸してしまい、創建の由来ははっきりしないとのこと。

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「上信電鉄」のりばのある1階に降りて来ました。
ここにも「富岡製糸場」の名前がありますが…

「富岡製糸場」は、明治5(1872)年に「高崎郊外・富岡」に建設された「糸繰場」や
「繭倉庫」の一連の施設を指します。

江戸時代より、「生糸(きいと、蚕をもとにした絹糸)」は、江戸徳川幕府の鎖国政策が事実上撤廃されたのち、欧米諸国への主要な輸出品として大きな地位を占めていました。その「生糸の質」を向上させるべく、国策として「群馬県・富岡」に建設されたのが「富岡製糸場」で、民間への払い下げを経て、昭和62(1987)年まで操業していたそうです。
戦災を逸れている、また当時の設備がそのまま残っているということ、明治初期の「近代化遺産のシンボル」として高い知名度がある、などの理由で、平成26(2014)年に「世界遺産登録」されました。

ここで就業した「女工」たちは、出身地の紡績場などで後進の指導に当たるなどし、日本各地にその「製糸技術」を伝える、重要な役割を果たしました。

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その「富岡製糸場」と、同じ沿線で、長野県との県境に近い「荒船風穴(あらふねふうけつ、自然につくられた洞穴)」も世界遺産登録されたとのこと。
ちなみに、この二つの遺産の距離は比較的近く、「富岡製糸場」で生産された生糸を、この「荒船風穴」で保管する、ということをしていたそうです。

そして、この「二つの世界遺産」を巡る、ということが人気になっているようです。
今回は足を伸ばすほどの時間はないのですが、社会の教科書にも登場した「富岡製糸場」、そして、自然豊かな「荒船風穴」、機会を設けて拝見したいと思います。

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次回に続きます。
今日はこんなところです。